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ネテモサメテモ

強がったポーズの女の子

わたしたちは自由(早生まれNGの呪縛)

自由って何ですかね

大辞林の一行目にはこうあります

①他からの強制・拘束・支配などを受けないで、
 自らの意志や本性に従っている・こと(さま)

わたしが思うそれは、
今の日本で、身体的にも精神的にも
得ることの可能とされているにも関わらず、

人はそれと気づかず簡単に手放してしまったり、
自らそうでない状況を望んでしまったりしがちな
最も重要な権利です

そう、わたしたちは自由

でもそれを忘れたり手放したり
完全なる「自由」を得ている人なんて
日本にはいないかもしれませんね

ハード面の話をすると、
まず、状況や環境がそれを拒む場合

たとえば、
子どもの母親が厳しくて、選択肢を与えないとか
夫が望む妻像に、専業主婦だから
それに近づくよう努力せざるをえないとか
逆に妻が専業主婦だから、
夫は気軽に辞職や転職ができないとか
保育所がないから働くのをあきらめるとか

ソフト面だと、なお自由でないでしょう
精神やこころの話

たとえば、
物心つく前から親の宗教の二世だったとか
いじめられないように、
意に沿わないのに誰かをいじめるとか
友人たちの意見について、自分の考えは違うのに
ただただ肯定せざるを得ないとか

空気を読む、ということは
自由を捨てる、ということかもしれません

わたしは今のこの時代の日本に生まれたのだから
自由であることを最も大切にしたいと考えていて
それを忘れないようにしようとしてもいます

でもわたしも、全然自由じゃない

そもそも子どもをほしいのに
保育所のことを考えてつくる時期をずらしたり、
周りの人間関係や環境ばかり気にして
妊娠を自粛したりする行為は

自由から程遠いものです

わたしは自由でいたいのに

でも、自由に近づくことは意外と簡単です
そのことにさえ気づいてしまえば

自分で工夫をすることで
自由を得ることができます

関東などの待機児童の多いエリアで、
共働きで子どもがほしい人って
7~1月くらいの7ヶ月間が子作りの勝負です
それなら4~10月が予定日にあたるから

なぜかというと0歳時の4月の保育所入所申込みは
11月あたりから始まるから

そこから3月生まれまでだと、
育休1年とったとして、
4月1歳入所になってしまって、
0歳入所より競争率が上がるんですよね

だから、ワーママの間で
早生まれNGは、もはや常識の感があります

わたしも、子作りするならその期間にせねば!と
謎の義務感にとらわれていました

だからもし今から妊娠自粛をやめたとしても
子作りは7月からかな、と

でも気づいたことがあって、
それでこの、早生まれの呪縛から
自由になれることがわかりました

1別に今の住居にこだわりはない
2別に関東で働くことにこだわりはなく、
 いずれ地方への転居と転職を考えている

3夫は夏に仕事を辞める

つまり

1×3待機児童が0に近いエリアに引っ越す
2×3今をその転居と転職のタイミングにする
  無職の夫がいるから育休中に転職活動も可能
3何なら専業主夫になってもらえば、
 今の仕事も続けられる

こういう風に考えを転換、工夫すれば、
むしろ今のタイミングこそ、
子を持つのに最適なのでは!?とすら思えます

ちなみに、夫はまだ仕事辞めて
何をするか決めておらず、
家族を最優先するし、主夫になるのも厭わない

むしろ子育てを自分主体でできるの天国!
とすら言っています

自由って、自分が置かれている前提状況ではなくて
その環境に甘んずるのではなくて、
見方を変えたり工夫したり、努力することで
自らとりにいくものなんですね

確かに「自分に由る」ものなんだなと
実感としておもった次第です

気づいたやつは強いぞ!

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妊娠自粛しない宣言

結論からぶっちゃけますと
今年度、わたし妊娠を自粛してました

なぜなら、昨年度の妊娠~入院~産休で、
同じ部署の方々にかなり迷惑をかけたからです

だから今年度、また同じことして
同じ部署の方にまた迷惑かけたらダメだよな
うん、今年度は仕事がんばろ、てことで

で、年度末に差し掛かりまして、
今週、辞令が出ました

わたしは子どもがほしいので、
休みがち(入院?)になる可能性を踏まえて
比較的業務負担が少ない部署に希望を出してました

昨年の病休~死産が考慮されるだろうと
正直異動は可能だろうと甘く見てました

そしたらなんと、
今より人が足りなくて、業務負担が大きくて、
残業必至な部署への異動が決まりました

はい、詰んだ~!

わたしもね、普通の妊娠できるなら
(悪阻で何ヵ月も入院しないような)
タイミングとかそこまで考えませんよ

でもあらかじめ数ヵ月の入院の可能性が大きいと
わかってるんですよ

なのになにこの扱い…

一人ひとりが業務負担の大きい部署で
妊娠なんてしたら、周りが死ぬよ…
そしてわたしも辛すぎるだろうよ…

昨年度自粛しなきゃよかったと、
全力で後悔しています…なんて浅はかだったんだ…


でも下手したらここの部署に数年いる見込みなので
もうここで宣言しておきます!
(リアルではもちろんしません)

自粛しません!!!!!

もう回りの迷惑とか考えません!

そんなことしたら、
いつまで自粛し続けなきゃなんないのか

もう結婚して5年目になるし、
普通に考えたらなんら責められることない…

頭のいい人たちしかいない職場だから、
言葉や態度で責める人もいないはずです

ただわたしが死ぬほど辛いだけなんだけど、
そこは鈍感になるしかない!
今こそ…!

ほんと、デキ婚の人のメンタル見習いたいです
石橋をたたくだけでちっとも先に進めない

つら…

GOING UNDER GROUND とわたし

ひと昔前のロキノン系(そう言ってたよね?)の
バンドを、当時から今までずっと好きで、
いくつかのバンドのライブに足を運び続けています

その中のひとつ、というか
わたしのホーム的存在のバンドが
GOING UNDER GROUND(ゴーイング)です

確か存在を知ったのはラジオ
高校のときだと思います

「ハートビート」をラジオで聞いて、
何この癖になるメロディー!ってなったことです

初めて買ったCDが「アゲハ」(緑のやつ)

アゲハ

アゲハ

アルバム「h.o.p.s」も一緒に買ったような

h.o.p.s.

h.o.p.s.

これが2005年(当時わたし高1)の冬だったので、
多分初めてのライブは
2006年の全国ツアー(高2)で、

次がなんと2007年12月
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当時わたしは高3だったので、
センターを控えた参戦でした、すげえな

わたしは当時、地元の福岡でライブに行ってまして
遠征であちこちから来てるお姉さま方と
仲良くさせてもらったりしてました

ボーカル素生さんの誕生日企画とかもやったなぁ
懐かしい…ライブ前にメッセージ集めたりして
今はもう繋がりなくなっちゃいましたが…

ということでもう12年くらいファンやってて
ライブには30回くらい行けてるかなぁ…

チケットは22枚残ってました
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なんで12年もファン続けてるかというと、
ゴーイングが本当に魅力的なバンドだからです…

ゴーイングのどこが好きか考えてみたんですが、
以下の3つかなと

①センチメンタル感

まぁ何がいいかって、
メロディーも歌詞もセンチメンタルなところですね

音楽の知識があるわけではないので、
メロディーに関してはテキトーなイメージですが

ゴーイングの曲は、明るくないし、軽さもない
どちらかというとマイナー調でクセがある、
ノスタルジーな雰囲気のメロディーのものが多い

もちろん明るい曲もあるけど、
暗くて、冷たい感じの曲や切ない感じの曲も
たくさんあって、わたしはそっちが好きです

わたしは元々そういうメロディーが好きで、
初期のレミオロメンとか音速ライン
ユーミンとかさだまさし(!)が好きなのも、

マイナー調のちょっとほの暗さのあるメロディーに
味があると感じて、惹かれるからかな、と

余談ですが2chの掲示板のタイトルで、
素生さんはセンチメンタルデブなんて
呼ばれたりしていて、
ゴーイング=センチメンタルバンドらしいね

ちなみにわたしも初聴きがラジオだったので、
どんなに爽やかなバンドマンかと思っていて、
実際のビジュアルを知り最初はかなり驚きました
なんてったってあの素敵な声ですからね~

話は戻って次に歌詞ですね
わたしは本をよく読むこともあって
音楽を聴く上で、歌詞は重きを置くポイントです

うちの夫なんかは、
歌詞全く聴かないし覚えないそうですが、
わたしは聴いてる曲の歌詞はすぐ覚えるし、
歌詞が好きな曲は何度もしつこくリピートします

ゴーイングで好きな歌詞は多すぎて
紹介するのすら難しいのですが…

特に好きな曲のものだけ取り上げて紹介します
(これでも選ぶの相当しんどかった)

綺麗な水を探してる魚 あれはいつかの僕と君だよ
いつかの夏に放り出されて
同じ素振りで笑ってみるよ (ランブル)

例えば都会の夜を さまよう二匹のうさぎ
焼けつく地べたで少しこげた (アロー)

似合わないシャツと ほどけた靴ひも
疲れた体で 笑ったりすんだよ (リバーズエッジ)

天気のいい日は何でもできる!
寝間着姿のままで思う (RAW LIFE)

あああ…最高…
歌詞の一節なのに、すでに物語がありますよね
歌詞を見るだけでビジュアルとイメージが浮かぶ
その雰囲気や、そこにいる誰かの気持ちまで、
伝わってくるような感じです

これに、ぴったりのメロディーがつくんだから
もう完璧に魅力的です
センチメンタル万歳!!!!

②ライブのアットホームさ

次!次がライブの魅力です

ゴーイングは、他のバンドと比べて、
男性ファンが多いです
特に、太目眼鏡のおっさんファンが目立ちます
女性ファンは昔に比べてだいぶ減りました…

それでも!
ライブのアットホームなあったかい雰囲気は
変わらないなぁとわたしは感じます

それは福岡でも東京でも変わりません

初心者にも優しい現場だとおもいます
わたしは、他のどの現場よりも
ほんとに楽しく、リラックスして参戦できます

ただ、福岡ではアンコールのときに、
手拍子ではなく
「ハートビート」のサビを歌うのが恒例で、
その文化が大好きだったので、
東京に来てそれがなくて寂しかったな~

③バンドの包容力

わたしが思う、
ゴーイングの一番の魅力です…

「いつまでたっても」という曲があります

これはメッセージソングで、
今はもう脱退してしまったメンバー、
ドラムの丈さんが作った曲なのですが、

サビの歌詞で繰り返し
「ぼくはきみたちを愛している」という
フレーズが出てきます

これ、わたしはファンへのメッセージだと
思ってるんです

一時期ゴーイングのライブで
この曲がよくセトリに入ってて、

今思い返してみると
その時期って、ゴーイングっていうバンドと
ファンとの絆を深める時期だったと思うんですよね

ゴーイングはバンド(メンバー、音楽含めて)の
包容力をファンにアピールして、
ファンはライブでホーム感を強めたんじゃないかと
少なくともわたしはそうだったんです

この曲聴いてるファンの顔見てたら、
もう目をきらっきらさせて、
信頼感マックス!って感じなんですよ!

あの顔見てると、そうか、みんな素生さんに、
ゴーイングに、この会場の雰囲気に、
抱かれに来てるんだな、
「愛してる」って言われに来てるんだな、って

まぁ意識はしてないだろうけど、
ゴーイングのライブって
そういうあったかい場所な気がするんです

そしてもう一曲、5人から3人になった
新生ゴーイングによるアルバム「Out of blue」の
収録曲「the band」の歌詞です

あなたよりもあなたを愛してあげる きっといつも
欲望も卑しさも信じてあげるずっと
だから全部を俺にくれないか?俺にくれないか?

ここに彼らの覚悟を見ました

わたしは、彼らが彼らでなくなるまで
彼らがいなくなっても、
ずっとゴーイングというバンドを好きでいます
というか、そうせずにいられないんです

そして、わたしの夢は
子どもとゴーイングのライブに参戦すること!

なので、まだまだやっててほしい
青春だってセンチメンタルだって
まだまだ続けてほしいです

いくつになっても、人間青春だし
いつだってセンチメンタルな生き物だし
お願いだから…といつも思ってます

現代を生き抜く女子力をモアナに見る

言うまでもなく女子力という言葉が嫌いです
言わずもがなそれがあると言われたこともないです

昨日「モアナと伝説の海」を観ました
わたしとしては明確なメッセージ性を感じられて
とてもよかったです
特に小さい~若い女の子に見せたい映画だなと
思いました

正直大ヒットしたアナ雪や君の名は。
どこが面白いのか全然わからなかったのですが、
そんなわたしが観ても、
モアナはとても面白かったです

何がよかったかというと、
現代を生きる女性へのメッセージに溢れていた点

意図せずあらゆるものと戦わねばならない
現代~未来の女性が輝く(笑)ための生き方を
示した映画だとおもいました

わかりやすいところを挙げると、
モアナは年頃の女性のヒロインにも関わらず
「ひとりで戦う」んです
ラストまで、彼女を救う「王子様」は現れません

ストーリー上、マウイ(人間出身の神、男)に
色々と教えてもらったり、導いてもらったり、
助けてもらったりしますが、
彼に見捨てられて一人になる場面もあり、
精神的に彼女は自立してい(き)ます

ストーリーの概要としては
彼女は海に選ばれて、
村長の娘という立場にも関わらず、育った島を出る
島を救うために戦って、役目を果たして島に帰る
というものなんですが、

島を飛び出す、というところと、島に帰るところ
ここが重要なポイントです

まず島の環境
彼女は村長の娘として、
いずれ村長になり、村民を率いる立場です

人望もあり、島と、島の人々が好きで、
その人たちのために働くことに喜びを感じ、
島を自分の居場所だと思っている

しかし反面、海に強い憧れを抱いています
島のしきたりでは、
珊瑚礁より外へは出てはいけないのですが、
モアナはその外に行って、
見たことのない世界を見たいと野望を抱いている

家族や立場(肩書き)によって、
一見恵まれているように見えて
ある意味縛られているのですが、
その枠を打ち破りたいと思っているのです

そしてある日、その枠を打ち破る
おばあちゃんの力も借りて、海に飛び出します

船で海に漕ぎ出すのですが、
珊瑚礁を越えたときのモアナの万能感はすごい

わたしは幼い頃に、
「自分には何でもできる。その可能性がある。」と
信じて疑わなかったあの頃の気持ちが甦って、
心からぞくぞくしました

このシーンはひとつの見所だと思います
音楽、歌と映像美の調和が素晴らしい!!

モアナは島を出たあと大冒険をして、
敵と戦ったり味方と協力したりして、
目的を果たして、成長し、島に帰ります

飛び出しっぱなしではなく、
島に戻ることを自分で選んだのです

島だけが世界ではないことを知り、
自分には自由と可能性があるということを知り、
その上で島の村長になることを選ぶのです

島を出る前の、島の外の世界を知らずに
島で生きるモアナと、
島の外のことを知って島で生きるモアナとでは
全く違います

自由の中にありながら、選択をすること
この権利がわたしたちにはある

当たり前のことですが、
気づいていない人(特に女性?)は
この現代社会においても(だからこそ、かも)
たくさんいます

そうできない人から、
そうしない人まで、いろんな人がいるとはいえ

そのことを全力で伝えてくる映画でした
わたしはそう感じ、共鳴しました

ほんと、大人でもぞくぞくわくわくできますよ!
おすすめです
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「今日の晩ごはん何がいい?」

わたしは結婚して4年、
夫のことはだんだんわかってきたところだが、
生活のなかで、しばしば「あれ?」と
違和感を覚えることがあり、

その一つについて、
今日やっと言語化できたので紹介したい

それは夫の美点のひとつで、

日々の「生活」と「仕事」、
双方に同じ価値を見出だしているところ、だ

これは文字にすると当たり前のようだが、
実際には意外と持てない感覚である

このことに気づいたのは、
仕事中の連絡がきっかけだった

わたしは不規則勤務なので、
休日や昼休み、退勤の時間がばらばらで、
必ずしも夫と一致しない

それで、予期せず(もしくは仕方なく)
彼の仕事中に
メールや電話で連絡をすることがある

そんなときでも、彼は大抵連絡に応じる

彼の仕事中に
「保険の支払いって済ませた?とか」
「今度の休み○○(映画)を観に行きたい」とか
「冷蔵庫に何の食材があったっけ?」とか
そんなメールをすると

30分もせずに
「済ませたよ」
「いいね、どこであるの?」
「白菜と人参かな」などの返信がくるし

電話でも同様
休み時間でなくとも、電話に出ることさえできれば
どんなに下らない
(少なくとも仕事と比べるとそう感じられるような)
質問や提案に対しても、
普段通りの態度と口調で対応してくれる

もしかしたらこれってすごいことだ

たとえば小説やドラマ、映画で
妻が仕事中の夫に電話するシーンで
妻は大抵生活についての話を夫にする

その内容が結構緊急性のあるものであっても
(例えば子どもが熱を出したとか)
夫は、さも苛立たしげな態度をとる

なんなら
「そんな下らないことでかけてきたのか」
と言いさえする

わたしはこう言う夫の気持ちがよくわかる
わたしも仕事中に生活の話を持ち込まれたら
苛立つと思うからだ
業務や状況にもよるけれど

仕事モードと生活モードの切り替えは
そう簡単にはきかないものだ

いくら普段
「生活も仕事も同じくらい大事」と言っていても
それが実際に行動に表れている人は
少ないのではないだろうか

しかしうちの夫はそれがばっちり表れている

たとえば今日、
わたしは昼休みに所用で夫に電話をかけた

それはお金に関することで
なかなか大切な報告だった
だから仕方なく、電話にしたのだった

わたしが用件を伝え終え、
電話を切ろうとすると、夫が言った

「ちょうど、今日の晩ごはん何がいいか考えてた」

これはなかなかに衝撃だった
だってまだ昼なのだ
なのにもう夕飯の献立を考えているのだ

彼は日中働いてない専業主婦でもなく、
実家の母でもない
28歳で仕事をそこそこ忙しくこなしている、
妻のいる男だ

それなのにもう、
わたしと作る夕飯の献立のことを考えている…

「生活」と「仕事」が、
天秤に乗っかってちょうど釣り合うような、
そんな価値観をもつ男なのである

すごいなぁ
わたしも口だけでなく、
そんな風に生活を大切にして暮らしたいと、
あらためておもいました

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ジェンダー再考(「彼らが本気で編むときは、」の違和感)

荻上直子監督の「彼らが本気で編むときは、」を
夫と観てきました

世間では
生田斗真トランスジェンダー
女性(戸籍は男性)を演じることで話題なようです

わたしは高校生の時から「かもめ食堂」が好きで
(原作者の群ようこさんに中学時代ハマってた)
幾度となく観ていて

あの世界観でジェンダーを表現するって
どうなるんだろう?と期待して観に行きました

観た直後の感想としては…
違和感いっぱいで、言葉にならない感じ
すごくもやもやしました

せっかくジェンダー、セクシャルを
テーマに据えたのにこの仕上がり…
なんか違うよね、これって、という気持ち

それで、わたしのこの違和感は
どこから生じたものなのか、数日考えました

その結果、わかったこと

トランスジェンダーであるりんこさんの
キャラクターが、あまりにもステレオタイプで
全然リアリティがなくて、魅力的でない
そのため好感がもてないし愛着もわかない

というところが大きい…

そうなんです
りんこさん、あまりにも女っぽい
今時のそこらの女性よりも
古典的な、絵にかいたような「女性」なんです

ひと昔前なら男性の理想になってそうな
高嶺の花的なそういうタイプの女性

そういうトランスジェンダーの方も
そりゃもちろんいるだろうし、
(女を意識する余りそうなるパターンもあるだろう)

そんな彼女を今回の映画で描いたことが、
間違いというわけではないのだけど

でもこの2017年に、
わざわざトランスジェンダー
テーマにもってきて作った映画なのに
こんなキャラクターの人物を
ヒロインに据える必要はないよね、

というかむしろ、彼女じゃなかったよね、今回は
と、そういう気持ちなのです

これじゃ、トランスジェンダーですら、
そのキャラクターをステレオタイプに、
型にはめられてしまうよね

それじゃ、
男はこうあるもの、女はこうあるもの、
という枠を超えてないよね
それって、どうなのよ…

トランスジェンダーはこういうもので、
こういう過去があるから、こう扱うべき、
ってそういう、もう描き尽くされたところを、
その必要もないのにわざわざ焼き直したような
そんな印象を受けました

わたしが観たい「ジェンダー」映画は
これじゃないなぁ…

わたしは今、若者世代で
進んでいる(と感じられる)中性化(?)が
どんどん進めばいいな、と思っています

女らしさ、男らしさ、ではなく
その人らしさ、を重視できる社会
そここそが目指す場所だよな、と

だから、そういう風に感じられる作品が観たい
「生きる」トランスジェンダーを見たい、
という風に思います

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女性が働くということ

このコメント欄があまりにも酷い有り様だった
ほんとに衝撃的で、唖然とした

これだから、
こういう認識だから、日本は変われない
女性は活用できないし、子どもは増えない
そりゃー当たり前だわ

みんながみんなを牽制して
みんなでみんなの足を引っ張りあって

勇気を出して意見を言えば叩かれて
空気を読んで黙っていれば一番安全
みんな、まわりをきょろきょろして、
安全策ばかり探って
勇気のある人間の発言に後ろ指をさし、嘲笑う

結局「国」が悪いのではなくて
国民がクソなのだな、と
だから今「国家」がこんな感じになってんだな、と
すごーく腑に落ちました

まず、何がおかしいかって
「自立したい」という母親の気持ちを批判すること

コメント欄を見るに、
「自立する」ということの意味を履き違えて、
あれこれ物申してる人ばかりだった

なんだか「自立する」ことの意味を、
贅沢で高尚な行為、みたいに捉えてるけど

全然そんなことないでしょ
夫や子どものいる女性が働くこと、
それは
現代を生き抜くサバイバル術の一つに過ぎない

夫がいたって、自立した方が安全に決まってる
だってさ、いくら高年収の夫を持ったって、
何が起きるかわからないよ?

夫がリストラされたり、大病を患ったり、
大怪我をしたり、事故で死んだり
不倫したり、よそに子ども作ったり
離婚の可能性だってもちろんある

夫がいる、夫が働いてるってだけじゃ、
わたしは全然安心できません
大黒柱制度こわいよ…

心配性っていうのもあるけど、現実的でもある
お金さえあれば、少なくとも生活していけるし

夫に裏切られても
キャリア(経験)は裏切らないしね

自立するって、そういうこと
ただ、生活のために自分で身をたてるってこと
(簡単に言えばリスクヘッジ)
わたしはそう思う

それに、今、これからの時代は、
女が自立してる方が不幸になる人間が少ないかも、
と、わたしは考えている

まず本人
現代社会において、
出産、子育てはものすごいリスクの伴う行為だ

国も社会も地域も、子どもを産め産め言うくせに
産んだら産んだで自己責任で育てろ、
お前が勝手に産んだのだからと、
誰も助けてくれない(コメント欄参照)

酷いときには子の父親である夫さえ、
力になってくれない
育児うつは現代社会の功罪だ

人によっては、仕事が助けになる場合がある
仕事に救われて子どもといい関係を築ける
そういう人も少なくないとおもう
(わたしの周りにもそういう人が多い)

子どもがいるからハッピーで最高に幸せ?
中にはそういう人もいるかもしれないけど、
全員が全員、そうはなれない

それに、いつか子どもは巣立つときがくる
親は子に、すがってはならない
子どもを自分の「全て」にするのは、
親のエゴでしかなく、

親は自分が親だということを
唯一無二のアイデンティティにしてはならない

次に夫
妻が結婚や出産で仕事を辞めたら、
これまでダブルインカムでやってた家計を
夫が一人で支えなければならなくなる

妻と子どもがいるから、
夫が自分の望む仕事や夢を我慢する、
これはよく聞く話だ

責任のある分、選択肢が少なくなる
まぁ当たり前のことかもしれない

そうしてその鬱屈を妻にぶつけたりね
はたまた仕事に忙殺されて家に帰れなかったり
それで退職したら用済みとばかりに熟年離婚される
あるいは家で邪険に扱われて辛い思いをする
そんなパターンも多いらしい

うちの場合、今のところわたしが公務員だから、
夫は自由にしていいと考えているらしい

わたしは今の仕事と環境がとても好きだから、
まだ当分仕事を変えるつもりはないのだけど、

夫はもうじき仕事を辞めるらしい
好きなことがしたいそうだ
もし子どもができて、保育所に預けられなかったら
自分で育てるらしい
(保育士資格あり、高校3年まで保育所で育った男)

そして子ども
子どもの気持ちはわたしにはわからない
専業主婦の母親と、働く母親、
どちらの子どもが幸せかだなんて、
誰にもわからない

でも「子どもの気持ちを思って、働かない」
という親の発言に、それは違うんじゃ、と思う
そんなのは親のエゴに過ぎないからだ

そして、働く母親に対して、
「お母さんが家にいないなんて可哀想」とか
「子どもの気持ちがわかってない」とかいうのも
おかしいことだとおもう

たとえそれが物言えぬ子どもであっても、
本人の気持ちや意見を他人が代弁するのは違う
自己正当化したいがための言葉にしか聞こえない
子どもを主語にすることで美化してるだけ

逆に専業主婦をバカにするのも違うけどね
ただ選んだ道が違うだけ
子どもとの関係も違うし、得るものも違うけど
どっちが偉いとか偉くないとかじゃないし

というか最早、
女同士が足引っ張りあってる局面じゃないから
それ、上が楽するだけだから、もうやめないと

話をもとに戻して…

もし、夫婦仲がよくない、夫が浮気をしている、
もしくは夫にDVを受けてる母親が
専業主婦だったら、と考えてみる

そう簡単には別れられない

まず仕事がないお金がない
それじゃあ子どもを食わせられない

うん、別れられないね

自立してないってこういうこと
相手に依存して生きるということ
追い詰められた場面で、簡単には逃げられない

だから、自立するってことは、
自分の命綱を持ってるってことなんだ

命綱を持たず、夫だけを頼りにして、
別れたくてもそうはできず、夫にしがみつく
専業主婦は命綱なしの綱渡りだ
上手くいくこともあるけど、
いかなくなることも、ままある

夫がいて、仕事も持つ
その両立が贅沢なんてとんでもない
そうやって必死に生きてるだけです
命綱を必死で掴んでるだけ

専業主婦も必死でしょうが、
働く母親も必死です
ただ形が、スタイルが違うだけ

どっちを選ぶのも自由なのです

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