ネテモサメテモ

強がったポーズの女の子

東洋医学はどうでしょう

お久しぶりの記事です

流産後職場復帰からこっち、
部署異動後で仕事が忙しいのと試験があったのと
ブログ書く気分にならなかったのでこの時機に
(結局最後のが一番の要因)

そうそう、前から漢方(東洋医学)に興味があって
でも薬があまり好きではないので、
のばしのばしになってたんですが

死産に続き流産したことで、
ちょっと不育症の線についても
考えないといけないなーてことで、
とりあえず、行ってみたわけです

クリニックでの本格的な検査に踏み切ると
結構お金がかかるし、まだ年齢が若いため、
医者に「あと1回流産したら検査」と
言われているため、
一旦西洋医学と距離を置いてみた感じ

不育症の方のブログに、
漢方も使ってるって書いてあるのも
ちらほら見たこともあり

でもわたしが最初に漢方に興味をもったのは、
中島たい子『漢方小説』がきっかけです

漢方小説 (集英社文庫 な 45-1)

漢方小説 (集英社文庫 な 45-1)

著者の得意な、ちょこっと不幸せな女性が
ある主題と出会い、ちょこっと幸せになる、
というハートフルなストーリー
中島たい子さんの小説面白いのでおすすめです

逆に言えば、わたしの東洋医学の病院、
医者に対するイメージは、
この『漢方小説』にしかありませんでした

だから逆に、こんな素敵な医者いるわけねー
こんな素敵な診療あるわけねー的スタンスで
行ってきました

行ったのは、住んでる市内に唯一の
東洋医学専門の医院(漢方婦人科というのがある)
中国人の先生がやってるらしい

色々訊かれるとメンタルにきてやだなーと
行く前から思ってたけど、
まぁ訊くのが診療のひとつでもあるしと
行き道でどう伝えるか考えたりしました

案の定、
受付で「今日はどうなさいました?」と訊かれ…
あれほんとやめた方がいいよね…

すぐ後ろは待合室でさ、みんな聞こえてるのに、
病気のことべらべら喋れるわけないでしょうよ

「特に今どうこうってわけじゃないんですけど、
 死産と流産が続いて、
 次の妊娠に向けて備えたいんです」

って感じにぼそぼそ伝えましたけど

またまた案の定、受付の方はハッとした顔をして
(そんな顔するなら最初から訊かなきゃいいのに)
ではこちらにご記入くださいと、
問診票を渡されました

何なんだこの過程、必要?
この人、ただの受付の人なのに、
わざわざ口頭で病状訊く必要あるのか?
絶対ないだろ

最初から完全にいらつきモードでしたね
受付の人自体は別に悪い人じゃなかったのよ
ただ、こういうシステム自体が疑問です

さて何だかんだ30分くらい待って問診

ホームページの漢方婦人科の具体例に
不妊症はあったものの、不育症はなく、
でもまぁ婦人科って謳ってるくらいだから、
と思っていましたが、

やはり先生そちらにはあまり明るくないらしく
何だかもやもやした感じでした

こちらの経緯を伝えるも、
「で、ちゃんと検査は受けてるの?受けてない?」
とかって、西洋医学前提の台詞…

だからそっちが受けるに受けられない状況だから
こっちに来てみたんでしょうよ…(伝え済み)

脈と舌はおざなりな感じで診て…

わたしが妊娠中以外はばりっばりの健康体で、
特段気になる点はない(肩こりくらい)と話すと、
多分先生もどうしようもない感じだったんだろな

結果、婦人科でよく出されるらしい
「当帰芍薬散」という漢方と
肩こり用に「葛根加朮附湯」という漢方を出され、

なぜか不育症の(先生はホルモンと言ってた)
血液検査を受けることになりました
それってもはや東洋医学じゃないんじゃ、
と思いながらも、ま、いーかと、受けることに

検査項目
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この検査意味あるのかな?
項目見てもわたしにはわかりませんが…

まぁこれで4,580円
漢方が740円だったので、損しても別にいっか
次回(来週)の検査結果聞けば、
意味があったのかわかりますね

また報告します

雨の日に聴きたい曲【2曲目】

お題「雨の日に聴きたい曲」

1曲目にレミオロメン「雨上がり」を挙げました
どちらかというとポップではねるリズムの曲

お題は「雨の日に聴きたい曲」なんですが、
「雨上がり」はわたしにとって
「雨の日と言えばこの曲」って曲です

これに対して2曲目は
お題通り「雨の日に聴きたい曲」
まぁ本当は雨の日でなくても聴きたくて、
実際いつも聴いてる曲なんだけど

ひこうき雲

ひこうき雲

ユーミンのファーストアルバム「飛行機雲」収録の
「ベルベット・イースター」です

もうね、曲全体がしっとりしていて、落ち着く

わたしがこの曲を繰り返し聴くようになったのは
悪阻で入院していたときで、
寝る前にいつも聴いていました

病院の無機質で寂しい雰囲気にも合ってる

すごく音が小さくて、イントロはピアノ
寂しげでやさしいメロディー

歌い出しの歌詞は
「ベルベット・イースター
 小雨の朝 光るしずく 窓にいっぱい」

サビの歌詞は
「空がとっても低い
 天使がおりてきそうなほど」

小雨の降る、雲の垂れ込めたグレイな情景

そこに登場する女の子は
「迎えにきて まだ眠いけどドアを叩いて」
「きのう買った白い帽子 花でかざり
 むかしママが好きだったブーツはいていこう」

彼女いわく「いつもと違う日曜日」に、
いつも通り好きな誰かに会いにいこうとする

そんな、穏やかな雨の日の始まりを描いた曲です

わたしは雨の日がとても好き
特に家のなかで雨を感じるのが好きです
雨の気配、におい、音、湿り、

江國香織さんの小説の影響もあるかも
わたしも雨には「鎮静作用」があると感じます

雨はコーラがのめない (新潮文庫)

雨はコーラがのめない (新潮文庫)

追記

平成生まれのわたしがユーミンにハマったのは、
このベストアルバムがきっかけでした

「日本の恋と、ユーミンと」
おそろしくぴったりなタイトルで、
初めて知ったときはぞくぞくきました

雨の日に聴きたい曲【1曲目】

お題「雨の日に聴きたい曲」

くらい話題ばかり続くので、
はてなのお題をお借りしてひとつ

わたしにとって「雨の日の曲」というと、
一番はやっぱりこれ!!

雨上がり

雨上がり

レミオロメンの「雨上がり」です

そもそもわたしがレミを知ったきっかけの曲

高1のころ、いつも聴いていたラジオ、
cross FM(福岡)で、梅雨のころに
「雨の日の曲」というテーマで投稿を募集してて
それで1位に選ばれたのが「雨上がり」でした

雷を受けたような衝撃、
と言えば大袈裟かもしれないけど、

当時のわたしにとって、
「こんなにわたし好みのバンドがいるなんて」と
結構な衝撃でした

それがきっかけで「雨上がり」の入ったアルバム

朝顔

朝顔

朝顔」を買い、数ヵ月はそれだけをヘビロテ

わたしは本にしても音楽にしても
結構リピートする方だと思うのですが、
こんなに聴き込んだアルバムは他にありません

ほんとバカみたいに聴いたし、
(実家は吹き抜けで、
わたしが2階で歌い続けるもんだから
家族全員アルバム曲を歌えるようになったほど)
今もこれを超える名盤はないかもくらいに思ってる

マイナー調の、ほのぐらい雰囲気の楽曲、
静けさの中に情熱を秘めてうなるサウンド、
日本の景色を織り込んで、
語感がしっくり肌に馴染む歌詞、

当時はまだ、近くの大学祭でライブをするような
無名に近いバンドでしたが、
まだまだ粗削りな演奏にもどきどきしていました

わたしが高校出たあたりに、
ドラマ「1リットルの涙」の主題歌として
「粉雪」が売れ、「3月9日」が売れ、
あっという間に売れっ子になってしまいました

粉雪

粉雪

3月9日

3月9日

実は「3月9日」の方が「粉雪」より
リリースが先で、「3月9日」が有名になる前、
高校の行き帰りに、チャリを漕ぎながら
口ずさんでいたことを覚えてます

レミオロメンにまつわる思い出は、
わたしの高校時代とリンクしていて、

当時、ミスチルとレミのテキストサイト
「追ぃかけっこ」(いが小文字)を運営してたこと、

そこで知り合ったレミファンの女の子と
ライブに行ったこと、カラオケに行ったこと、
他にも色んなファンと繋がれたこと、
ライブでイベントを主催したこと、

懐かしいなぁ
怖いもの知らずだった分、
行動が大胆で、勢いがありました

話を元に戻して…
「雨上がり」は今聴いてもすごい格好いい曲です
デビュー曲がこれってどんだけセンスいいんだ…

もうイントロから秀逸で、
湿った匂いのする静かなギターから、
ポップなリズムへの切り替えがめっちゃいいし

歌い出しの歌詞しびれるし
「静かになった
どうやら雨が止んだみたいだね 」

変調なサビ前のフレーズ、ギターサウンド、
サビの繰り返しの歌詞「雨のち晴れ模様」
ねっとりした藤巻さんのボーカル

間奏からのCメロでまた転調
「濡れた街 濡れたズボン
吹き抜ける風は 震えるほどだけれど」

からのラスサビ、
最後は静かなボーカルで終わるところまで、
完璧です…完璧!!
(ここで興奮により誤って一旦公開してしまった…)

ああほんと好き…
アルバムが5枚しかないのが惜しすぎる…

他にも好きな曲がたくさんありますが
最近は、アルバム「花鳥風月」の
「東京」とか「小さな幸せ」とかが好きでよく聴く

花鳥風月

花鳥風月

まだ活動休止してるんですよね…
わたしのなかでは、復活してほしいバンド1位!
かもしれないくらいの存在のバンドです

ほんとはもう1曲、
挙げたい曲があったのですが、
長くなったので別記事にて!

大丈夫?って聞かれても

流産後、職場で毎日のように聞かれていること
それが「大丈夫?」です

もう聞かれすぎて、
わたしに話しかけたそうな人の顔を見ると
あ、「大丈夫?」くるな、とわかるので、

食いぎみに「大丈夫です」と答えます
相手が引くレベルの満面の笑みで

この言葉はなかなか厄介なやつで、
他人に「大丈夫?」って聞かれても
「大丈夫じゃないです」なんて、
大概の相手には言えないわけです

大丈夫じゃない、と言ったあと、
相手は何を話すつもりなのかなぁ
こちらの重たい話を受け止めてくれそうにもないし
そもそも廊下で話すような内容でもないけど?

わたしを心配してくれるのはありがたいけど、
いきなりの「大丈夫?」は、
迷惑以外の何者でもありません

こっちの事情を知ってて、
なおかつ心情もわかった上での「大丈夫?」なら、
ある程度親くて、信頼感ある相手だろうから

「大丈夫じゃないかも…」なんて、
甘えたこと言えるかもしれないけど、

そうではない他人の「大丈夫?」への回答は
「大丈夫です!」(笑顔)以外ありえないわけです

だから本当にその相手のことを心配していて
話を聞きたい、助けになりたい、と思うなら
この聞き方はNG

こうやって漠然と聞くのではなく、
「○○だって聞いたけど、体調はどう?」とか
「私も○○の経験があって~」とか、
焦点をしぼって、自分の持つ情報を開示すると、
相手も話しやすいかな、と思います
(場所と時間はちゃんと考えた上で)

そしてもうひとつ

前情報のない、突然の「大丈夫?」は、
聞かれた方も、「ああ、○○のことかな?」と、
ある程度の推測はつくものの、

心当たりがいくつかある場合、
どれについて聞かれているのかわかりません

わたしの場合、前回悪阻入院していたことを
職場の人たちは知っていて、
今回妊娠~流産したので、

妊娠までしか情報が入ってなくて
「(悪阻)大丈夫?」と聞いているのか、
流産したことも知った上で
「(流産)大丈夫?」と聞いているのかわからない

そのことをこちらから聞く気にもなれません
何て言えばいいのかな
「えっと、流産のことですか?」とか?
「どこまで知ってますか?」とか?
「もう妊娠してませんけど?」とか?

わーやな感じ…
こう切り返されてもし流産のことを知らなければ
相手は「げっ」と引いて、かなり動揺するだろな
それであたふたして、
カジュアルに「大丈夫?」と聞いたことを
後悔すると思いますね

はっきり言って、それを聞く方は、
「大丈夫?」って言ってきた人の数倍つらいです
なんでわざわざ傷口に塩を塗らなきゃならないんだ
他人の半端な気遣いで、また心に血を流すんです

だから本当にその人のことを思っていて、
心から心配していて、話を聞きたい、
全部受け止められる、という覚悟がない限り、
「大丈夫?」なんて聞かない方が身のためです

そしてそれだけの覚悟があるなら、
職場で仕事中には話しかけないでほしい

お茶とかご飯とかの約束して、時間とって話す、
そのくらいの気持ちがないなら、
もう話さない方が気が楽かもしれないなぁ…

これはもちろん、相手のためでもあります
思いやりのスルー、という手もあるということです

デキ婚に感じる違和感

タイトルの通り、わたしは、
デキ婚に違和感(場合によっては嫌悪感)がある

※意図的なデキ婚はここに含めません
 あくまで事故としてのデキ婚についてです

まぁ現代の日本の環境や文化で育てば、
結婚や妊娠に対する価値観として、
デキ婚に否定的な考え方になるのは
まだまだふつうのことで

わたしもそうで、
妊娠と、それに付随する諸々を意識し始めた
高校生くらいからすでに、
デキ婚に違和感と嫌悪感があった
(死産、流産した今はますます募らせている)

でもその理由がハッキリとわからなくて、
もやもやしていた
(理由がわからないと、主張もできないから)

それが、今日、
次の妊娠について考えていたところ、
はっきりとわかったので、ここに記録する

わたしがデキ婚に違和感を感じる理由、

それは、デキ婚の場合、その多くが、
妊娠~出産が、性交渉の副産物に過ぎないためだ

引いては子どもも、その副産物に過ぎない、
あくまでも性交渉が目的で、結果としての妊娠だ

逆に、結婚してからの妊娠~出産は、
子作りのための性交渉を経た結果であり、
性交渉は妊娠という目的のための手段に過ぎない
(あくまでも現代日本における、多くの場合、です)

性交渉自体が目的ということと、
性交渉は妊娠のための手段に過ぎないということ、
これはかなり大きな違いだと、わたしは思う

妊娠~出産がめでたいことで、
また、現代において子どもは貴重なものだから、
デキ婚をした本人やその周りは、
それを容認、あるいは称賛することがままあるけど

いやでも結局、
子ども欲しくて作ったわけじゃないよね?
快楽を求めて理性を失った結果の副産物だよね、
と、まぁこういう風に考えてしまうわけです

あともうひとつ、パートナーを選んでない、
ということも、違和感の理由としてある

性交渉をしたからと言って、
その相手をその時点で、
人生のパートナーだと考えている人は少ないだろう
(考えている人は事情がある人だろうから除外)

ってことは、妊娠をきっかけに、
自動的にパートナーが決定するという流れなわけで
まぁ運命と言えば聞こえはいいけど、
自分で選んだ結婚相手というわけではないんだよね
と思ってしまうんです

結婚~妊娠~出産という流れの中なら確実にある、
結婚するまでの思考や判断の過程を省略…
すっ飛ばしちゃってるってことだもんなぁ

そ、それはまずいんじゃ…
と、わたしのような計画的な小心者は思うわけです

ま、ぶっちゃけ全部ひがみかもですけどね!!

結局は、せっかく24歳で結婚したにも関わらず
キャリアのことを考えて人生設計した結果、
子作りに入っても死産と流産を繰り返して、
結婚5年経っても出産できてないわたしの、
負け犬の遠吠えかもしれない

コツコツ計画的に、理性的に、
目の前ハードル超えようとして、超えられなくて
苦労しているわたしを横目に、

理性をなくして行為を楽しんでる女たちが
ハードルを軽々超えていく、
今のわたしにはそんな風に感じられるので、
いじけてるだけかもしれません

超えた先のことは、また違う話になるんだけど

わたしの場合、不妊ではなく不育で、
努力することすら許されない
それがもうどうにも苦痛で

デキ婚、うらやましくて死にそうです

妊婦が受け入れられない

最近のわたしを苦しめていることは、
よその妊婦を恨めしく思ってしまうことです

そういう年頃だからってのもあり、
職場にも妊婦(とその夫)がいるし、
身の回り(わたしや夫の友人など)にもいます

まぁこの社会に生きてれば当たり前のことですね

そう、そんな当然のことが、
二度続けて妊娠がダメになったことで
こんなにつらく感じられるようになるとは、
想定外でした

たとえば流産後、職場で、
妊婦さんのいる部署に行けなくなりました
その夫の名前を目にすることさえつらいくらい

彼女の姿を見なくても、妬ましくて恨めしくて、
たまらない気持ちです
会えばますますつらくなるし、
笑顔で話せるか、全く自信がありません

そういう自分の感情や反応について、
考えるだけでもつらく、重たい気持ちになります

前回の死産後、こんなエントリーを書きました

bo-ya119.hatenablog.com

ここに、死産後によその妊婦や赤ちゃんを見ても、
平気だったと書いてあります

一度め平気だったことも、
二度繰り返すと、傷が前より深くなっていて、
前と同じ反応にはならないこともあるんですね

ほんとに平気でいられなくて、苦しくて

たとえば妊婦さんや、その夫と会うことや話すこと
その機会があるかもしれないというだけで、
その場面を想像すると、
すごく億劫で、つらくなるんです

他人の妊娠が心の底から喜べないし、
そのことについて笑顔で話せる自信がない

そしてこんなに狭量な自分が許せなくて、
恥ずかしくて、たまらない気持ちでいっぱいです

他人が受け入れられないということは、
結局は、
自分を受け入れられてないことなんだって、
今回のことで痛感しました

自分が、自分の思う、理想の自分でいられない、
いい人間でいられないから、
そんな自分を受け入れられない

これってこんなにつらいことなんですね

恨みや妬みが、恥ずべき感情だということ、
わたしと、よその妊婦さんとの出来事は
関連性のないことで、
もちろんよその妊婦さんには何の罪もないこと

もちろんわかっていますし、
そうやって割りきって、涼しい顔をしていたい

でも卑屈な感情は、理性を超えて、
わたしを満たしてしまって、
自分ではもうどうしようもありません

夫はこの感情を全く理解してくれず、
妊婦のいる場に連れ出そうとすらしてきます

その度にわたしは、
卑屈な自分と対峙することになり、
その自分を受け入れられず苦しみ、
夫に泣きながら説明する羽目になっています…

時間がたてば、卑屈なわたしはいなくなるのかな
それとも、
そんな自分を受け入れられるようになるんだろうか

そうなっても、ならなくても、
なんだかずっとつらいような気がしています

親、子と不育と

いただいたお休みで、実家に帰ってきました

母と話していたら、
母が義母に、今回の流産について、
謝ったということが発覚

もちろんわたしは謝ってませんよ
自分が悪いと思ってないし、
責任の所在を探すのは無意味なことだと思うから

最初の死産のときも、悪阻で長期入院したりして、
夫にさんざん迷惑かけて、その上で死産したため、
母はわたしの夫やその母に、
申し訳ない、片身の狭い思いをしたと思います

気持ちはすごくよくわかる
すごく優しくて、大好きな、尊敬する母です
価値観もかなり受け継いでいます

わたしが今悩まされてる蕁麻疹についても、
遺伝や体質のことを気にして、
自分がわたしを妊娠中に○○だったからかも、とか
未だに言ってるような母です

やはり、自分が産み落とした子だから、
その子がある意味で不能だったことについて、
負い目を感じてるんだと思う

日本ではまだまだ一般的な価値観だろうな、これ
自分の子どもの汚点は自分のせいだと感じること、
そしてその表明を無理強いされることすらある

でも、わたしはそういう親にはならない
意識的にそうならないでいたいと思う

もちろん、わたしも今の母の立場になったら、
娘の夫やその親に申し訳ない気持ちになると思う
それは自然な感情(わたしにとっては)なので、
仕方ないことだけれど

それを相手に謝ったりはしない

それは意識的にできることだし、
そうすることで、自分の意見を表明できる

不妊や不育について、当の夫婦たちは戦っている
生活の中で、苦しみながらも、日々戦っている
それは本当にとてつもない苦労で、
(身体的にも経済的にも)

そのことを、血が繋がっているとは言えど親が、
身をもって知る、わかることはない

それがどういうことか、わかっていないのに、
子どもの不出来について、
代わりに謝ったりすることは、
必死で戦っている娘や息子に失礼な行為では?と
わたしは思ってしまう

まぁ母にはそんなこと言わないけど

母が義母に謝ったことに、怒りは全くありません
それは母なりの誠意なんだろうから
ただ、わたしだったらそうはしないな、と
思うだけです


夫の母はそういう考え方…
つまり親は親、子は子、という考え方

成人した子が、結婚相手に何か迷惑をかけたとて、
それはあなたたち夫婦の問題よ、という考え方を
ナチュラルにしている人で、

わたしの母とベクトルは違うけど、
やはり義母のことも、わたしはすごく尊敬してます

夫が自分の両親に
「仕事を辞める、次のことは決めてないけど」
と言ったとき

わたしは、夫の両親に謝られたりするのかな、と
少し思っていました

まだまだ夫が外で稼ぎ、っていうのが
当たり前の世の中だから、夫が仕事を辞めたら
働いて夫を支える形になるわたしに、
申し訳ない、ってことになったりするのかな、と

でも夫の両親はそんなこと一言も言いませんでした
「ごめんね」も「苦労かけるね」も何も

格好いい!さすが!とわたしは思いました

義両親はずっと共働きで、
二人とも両親を早くに亡くされています
色々と苦労がありつつ、
二人三脚で子どもを3人育て上げています

それだから、こういう考え方が
意識せずとも身に付いているんだと思います

わたしは多分意識しないとできない
意識しても、ついやっちゃいそうですが、
そういう風でありたいと思うのです
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