ネテモサメテモ

強がったポーズの女の子

わたしと鬱と

わたしは中学生~大学生頃まで、
「鬱」という言葉にものすごく抵抗感があった

その年頃ゆえだろうか、
嫌な出来事があったり、落ち込んだりしたときに
「いま、鬱だから~」と、
軽く「鬱」であることを表明する子が多かった

前にもブログで軽く触れたが、
わたしの父は酷い躁鬱で、
わたしが幼い頃から4年に1度の頻度で、
精神病院に約1年の入院を繰り返していた

本格的な「鬱病」は、
本人はもちろん、周りの人間もとてもつらい

父の場合は、暴力こそふるわなかったが
言葉の暴力は酷くて、
それも「死ね」だとか「殺すぞ」だとかなら
まだいいけれど、

頭のいい人間ならではの、
論理的で計算された悪口を
毎日毎日つらつらと延べることで
わたしを追い詰めた

母も相当につらい思いをしただろうが
わたしへの当たりが本当にきつく
彼の鬱や躁の症状が酷いときには、
毎日つらく苦しい、悲しい日々をすごした

わたしへの当たりがきつかったのは
たぶんわたしが父親似だからだとおもう

それでも、わたしは父を嫌いにはならなかった
憎い、死んでほしい、とは幾度となく思い、
彼を恨み通したけれど、嫌いではなかった

それは、母が父を嫌いにならなかったから

そして、父は病気のせいでああなのだ、
本当の父はこんな人ではないのだと
教えてくれていたからだと思う

それで、わたしは
彼は自分の意志で周りを傷付けるのではなくて
病気が彼をそうさせているのだと、
認識することができた

実際、父は今でもそうだが、
頭にカッと血が上って、
わたしたちを傷付けるようなことを
言ったり、したりしても、次の日には忘れている

そのことには本当に腹が立つが、
彼を恨むのでなく、病気を恨まねばと思っている

そういうわけで、
わたしは軽く「鬱」という言葉を扱う人が
本当に嫌いだった

ファッション鬱はやめろ、
ほんとの鬱はそんなもんじゃないと、
心の中で何度も思った

そして大人になり、社会人になると、
周りに鬱と診断される知り合いが増えてきた

本当に鬱なのかな?
鬱なのに、仕事ができるの?
虚ろな目をして「死にたい」とも言わないし、
いきなりテレビを何台も買ったりとか、
謎の画家の絵や日本刀を衝動買いすることもない
そのくらいで鬱って言える?

わたしは長年父の鬱と戦ってきたので
父レベルの鬱でない鬱は
鬱として認められない、というか認めたくない、
という気持ちがあった

そして今年の死産
わたしは人生で初めて、鬱に近い状態になった

わたしはとても楽観的で能天気な人間で
悪いところよりも良いところに目がいくタイプ
健康で、仕事して、稼いで、遊んで、
生きてるって素晴らしい!!と日に何度も思う
まさに「生きてるだけで丸儲け」タイプの人間だ

いつも楽しそうにしている、
頭がよくて喋りのうまい職場の後輩が前に、
「楽しいことなんて、週に1度あるかないか」
ということを言っていて、
本当に不思議に思った経験があった

わたしは、普通の生活をしていても、
毎日何度かは楽しい瞬間が必ずあるから、
みんなそういう感じで生きてるの!?って
初めて知った

そして後輩の生き方はスタンダードらしい

わたしはほんとにくそ前向きな
ポジティブ野郎らしい

だって東京の駅にいるビジネスマンは
そのほとんどがとても不機嫌そうな顔をしてる
信じられないような悪意を
目の当たりにすることも多々ある

あれは、一時的に不機嫌なわけではなくて、
あれが通常運転らしいよ!そんなもんなんだね…

そんなわたしが死産をして1週間、
生きている意味がわからなくなった
子を失ってなお、生きていく必要があるのか
これからどうやって生きていけばいいのか
本当にわからなくなってしまって、
人を心配させないためにしか、笑えなくなった

鬱当人のつらさを初めて知った

でも、立ち直った
それは夫はじめ、家族友人の支えがあったからだし
わたしが元々そういうたちだということも大きい

死産で鬱になるひとは少なくないらしく、
自分の精神が強いことを改めて自覚した

そして、自分の強さでもって、
周りの人間を見るにつけ、
鬱の人間に毎日罵られたり、
死産したり、壮絶な経験もしてないくせに
なにが鬱だ、と思うようになった

もちろん口に出すわけではないけれど、
死産からこっち性格がひん曲がったこともあり
世の中の死産したことのない人が妬ましかった
自分の物差しだけで、ものごとを判断した

しかし今日、職場の研修で
臨床心理士の先生の話を聞き、
いろいろなことがわかった

一番は、鬱になるきっかけは人それぞれということ
同じ経験をした人でも、
鬱になるひと、ならないひとがいること
当たり前のことだけど、初めて腑に落ちた

辛い目にあっても、
悩む、落ち込む、鬱になるかどうかや、
その感じかたは人によって違って、

わたしは今まで、特に子ども時代に、
父の鬱以外にもつらいことが結構あったのだけど、
それでもわりに明るい性格で、
父と母が交互で入院、闘病していた高校時代も、
周りから「悩みがなさそう」とよく言われていた

頭では、いや、お前よりあるよ
言わないだけだよ
と、思いながらも、反論せず笑っていた

でも、違ったのだ

わたしは本当に「悩み」がなかった
つらいことはたくさんあったけど、
つらいことがある→苦しむの構図は
誰しもに当てはまる訳じゃないのだ

当時はそのことに気づいていなかったけど、
本当の意味で真に苦しめられてはいなかった
今より鈍感だったのかもしれない

わたしはその頃、父との面会や、母のお見舞いに
学校帰りに通う日々のなかで、
みんなそれぞれにこういう苦しみがあるんだろう
わたしは特別じゃないんだ、と思っていたし、
それは事実だったから、

誰かに「悩みがなさそう」なんてことは
決して言わなかった

それが言える浅はかさをもった彼女たちは、
きっとこの世の中には、いろんなタイプの
苦しみや悲しみがあり、
大なり小なり誰もが苦痛を抱えていることに、
気づかない程度の経験しか
してこなかったんじゃないかな、と思う

そしてその上で、彼女たちは、
ある意味でわたしには想像もつかないような
痛みに胸を痛めていたんだろう

しかしそれは、わたしの、
明日、突然に父が発狂するかも、
また母が倒れて、救急車に乗ることになるかも、
という不安とは、全く違うベクトルのものだと思う

つまり、彼女とわたしとでは、
「つらい」と感じる閾値が違ったのだ
ただ、そういうことだったのだ


わたしは死産後から今尚、とても苦しんでいて、
なにが苦しいかというと、
もはや死産という事実、経験ではない

わたしにとって一番大切なのは、
自分の心や考え方、価値観を安定させ、
状態を見極められる状況を維持することで、

死産をきっかけにそこが歪んでいることが、
日々わたしを苦しめている

わたしは自分の体や、
身の回りの実質的な不幸には、
あまり動揺させられない(慣れたのかもしれない)
その上で冷静な判断や論理的思考が働く方だ

でも自分の心の状態を安定できない、
価値観が揺らぐ、という状況がつらい
自分の頭でどうにも対処できないことが、つらい

わたしは学生の頃、ある知人に
「ハマダさんは人嫌いですよね」と言われ、
驚いた経験があるのだが、これは道理だった

つまり、外のものに心揺さぶられたくないが故に
なるべくたくさんの人と付き合わない
友人付き合いを限定したり、深入りしたりしない

そうやって保身をしてきたのだった
そのことにも今日、初めて気がついた

でもわたしはこのスタンスを崩さない

わたしはもういい年だし、
自分の守りたいものを守って、
心地よい人生を生きたいから


ちなみに、脳のしくみとして、
シナプスは使うことで増加する
伝達も、より効率化されるらしいです

そのため、自他への否定的な評価、
考え方を脳に学習させると、
それが習慣づいてしまう

逆に、肯定的な考え方を
脳にクセ付けておくと、
メンタル不調の予防、回避となるらしいです

人へのケアは自分へのケア、
人に優しくできる人は、自分に優しい人、
人への態度は自分への態度とのこと

自分のこころについて、考えた日でした

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博多の街にねむる

そうそう、
報告が遅れましたが、
あしたくんの納骨をしました

義父が、博多の街のど真ん中の納骨堂を
購入…契約?してくれまして

9月に帰省をしたときに、お別れをしました

ケチっていつものLCCで帰りまして、
ジェットスターは膝の上に荷物NGなので
骨壺どうしよう…?と心配でしたが、

訳を話したら、
手荷物検査で横にされることもなく、
膝の上に置いてよいとのことで、
夫が膝に抱いて帰りました

帰省してしばらくは
実家に置いてもらって、
そこから車で博多まで連れていき、

わたしの両親と義父母と6人で、
お経もあげてもらって、さよならしました

わたしもいずれはあそこに入るのかなぁ
博多は大好きな街なので、
賑やかなところに眠れるとおもうと嬉しいです

あしたくんのことがなければ、
急いで納骨堂を押さえることもなかったと思うので
なんとなく不思議な感じ

骨壺はもうありませんが、
家には電池のキャンドルを今も
寝起きに合わせて灯していて、

かちかちとそれが揺れる音が聞こえるたび、
あしたくんのことをおもいます

悪阻フラッシュバック

タイトルの「悪阻フラッシュバック」
椎名林檎アジカンを彷彿とさせる、
邦ロック感が、そこはかとなくありますね

何の理由もなく(あるっちゃあるが)
しばらく記事を書いておらず、
久しぶりにここを覗いてみたところ、

悪阻や死産に関する特定の記事は
変わらず多くの方に読んでいただいてるみたいで
ブログを立ち上げた甲斐があるなぁとおもいます

今回、9月の最後の日にこうやって
記事を書いているのは、
あれから1年経ったからです

妊娠して、悪阻の症状が出始めたのが、
ちょうど昨年の今ごろでした

季節は秋~冬

わたしは夏が苦手で、
冬が、寒いのが大好きなので、
昨年は1つのシーズンを失ったこと
とても残念におもっていました

でも、失ったのは1つだけではないのかも

というのも、今まさにきてるんです
悪阻のフラッシュバック

妊娠してた頃、話には聞いていましたが、
まさか、そんなことがあるのかと、
半信半疑でした

そして実際、
わたしは死産後、悪阻がぱったりなくなったので
フラッシュバックがあるとしたら、
精神的なものなんだろうともおもってました

でも逆でした

こころではなく、体が覚えてるんですね
銀杏や金木犀のにおい、
秋の冷たい空気と風のにおい、

そしてその秋の中にある、去年のわたし
コンビニや職場の机、通勤路、

においや感覚、場所の記憶が
悪阻の感覚を引き起こします

悪阻そのものではないので、
嘔吐するまではもちろんないのですが、

それらの記憶を思い出しては落ち込むし、
気持ち悪くて気分もなんとなく悪く、
頭もぼんやりしています

悪阻のフラッシュバック、
精神的なものではなく、身体的なものです

心が乗り越えていても、
体はまだ去年のことを乗り越えられないんだなぁ
そんなことがあるって、初めて知りました

第一回 ハマダ家蔵書点検

わたしは図書館員なので、
毎年大体この時期には仕事で蔵書点検をします

蔵書点検とは読んで字のごとく
図書館の蔵書の点検をすることです

全国の図書館大体どこも1年に一度、
長期休館期間がありますが、
それはこの蔵書点検をやるからなのです

言うなればそれは、図書の棚卸し

データ上、開架書架(場合によっては閉架も)には
これだけの冊数の本があるはずだが
実際にはどれだけの本があるのか、確認をします

このとき発見できない本を、不明本といい、
これをいかに少なくできるか、ここがきもです

つまり、不明本の発見が、
蔵書点検の目的ということです

蔵書点検については
このマンガに詳しく載ってます

夜明けの図書館(4) (ジュールコミックス)

夜明けの図書館(4) (ジュールコミックス)

わたし自身、
先日まで勤務先で蔵書点検をしてました

そして今日、先程まで、
自宅の蔵書点検を行ってました

とはいえ、家の本が何冊あるのか、
登録してないので把握していません
なので、厳密には蔵書点検ではない

先週新たに本棚を増やしたこともあり、
本の整理、管理といったところでしょうか

その結果、
うちの蔵書冊数が明らかになりました

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全1,041冊です

これは大変興味深い…
いくつかの発見がありました

たとえば、わたしは目算で
大体1,000冊くらいかな、と
あたりをつけていたのですが、なかなかいい読み
だてに図書館員やってません(照)

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あと、わたしはうちの本は
マンガ8割くらいかな、と考えてましたが、
意外にも1,041冊中572冊と、
字の本(小説、実用書、童話)と
そんなに差がつきませんでした

あとは、わたしの少女マンガと、夫の少年マンガ
どちらが多いかなと考えていたら、
まさかのどちらも254冊という結果に!!
拮抗しています

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まぁ少年マンガの方がシリーズが長編なので、
すぐに抜かされるとおもいますが…

というわけでハマダ家第一回蔵書点検の報告でした

…引っ越し大変だな…
(引っ越し魔なので、4年間で3回引っ越した)

律する女

わたしは自己分析をするのがすきなのだけど、
自分でも謎なツボを見つけることがままある

そのひとつが「規則に縛られたい」自分だ

この自分を発見したのは約2年前
公務員になってからの新任研修でのことだった

公務員は、民間の会社員と比べ、
遵守すべき規則、ルールが多い

市民に奉仕する公僕であるがため、
職務中はもちろんのこと、
職務外も公務員としての言動を心がける必要がある

新任研修では、この規則についての講義の時間が
しっかりとられていた

講義のはじめ、講師からの一言は
「我々は公僕です」だった

わたしは興奮に打ち震えたので、
今もこの第一声を忘れていない

このあとも、公務員の規則についての講義は
長々と続いた
曰く、「○○はしてはいけない、○○もダメ」
の羅列のようなお話である

ふつうの人なら、あまりの縛りの多さにげんなりし
眠くなってくるシーンかもしれない

しかしわたしは、数多くの規則を知るにつれ、
どんどん興奮が増していった

いい!ルールいい!規則守りたい!
規則に縛られたせまい世界で生きたい!
わたしは律されたい!!

と、このような心持ちである

冒頭のツイートにあるように、
規則にスリルすら感じた

はっきり言って意味がわからないし、
興奮が高まる自分にドン引いた

でも勝手に興奮するのだから、どうしようもない

思えばわたしは昔からルールが好きだった
規則好きが高じて、
地域で一番校則が厳しい高校を志望して、入学

その縛りのきつさは、わたしを満足させた

たぶん、規則さえ守っていれば、
間違いを犯す危険がない、
というところが魅力的なのだとおもう

自由な社会で野放しに生きるのが不安なのだ

それに加えて、
「規則を破ってしまったらどうしよう」という
危機感にスリルを感じるという楽しみもある

縛りがきつければきついほど
その危険は高く、そこにぞくぞくするのだ

こんな人、ほかにもいるんだろうか…?

※写真は本文と無関係です
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アイドルはコスパでハロプロ一択!

シビアすぎる経済観念と、
プロに求めるハードルが高すぎて、
なかなか何かに夢中になれないわたしです

われながら、
ちょっとどうなの…と思うくらい

ライブや映画、舞台を見に行っても、
うーんコスパ悪かった~!とか、
これなら来なくてよかったわ…とか、
そういう損得勘定が先にくるタイプです

そんなわたしがコスパのあまりのよさに
現場通いをやめられないのがハロなのです

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というわけで、連日のハロ記事祭り、
今夜も続きます

今回はわたしがハロにハマった理由を分析
解説してみます

まぁまず一番に挙げられるのが、
彼女たちの本気、です
すごいんですよ、ダンスレッスンにボイトレ
みっちり、ぎっちりやりこんでます

歌やダンス、
もちろん得意な子も、苦手な子もいる
でもみんな一流になりたくて、
泣きながらやってるんです

アンジュルムあやちょのボイトレ

涙のボイストレーニング 和田彩花 - YouTube

加入1年、発展途上のかななん

スマイレージライブツアー2012秋〜ちょいカワ番長〜「中西香菜篇」 - YouTube

これだけ、努力に努力を重ねて
それを本番に惜しみ無く発揮してくれる、
うら若き彼女たち!

本番の自信に満ちた笑顔は、いつも輝いてます


次に、メンバー、グループ、
それぞれに個性があって、
ちゃんとそれを活かしたプロデュースが
なされているということ

これはほんとに、ほんとに
事務所の力によるところが大きいとおもいます

最初は「えっ?このタイミング?この新人?」と
思うようなメンバー増員だって
結果的には、ハロがハロであるために
必要なものなんだって納得できることが多いし、

メンバーを募集してオーディションを行いながらも
該当者なしと見送る判断は
なかなかできるものじゃありません

グループの現状やコンディションを鑑みて、
今必要な人材を見極めているからこそ
できることです

入れるのは簡単かもしれないけど、
育てていくのは大変ですもんね


Hello! Projectひな祭りフェスティバル、いよいよ開催!℃-ute・リハーサル編 - YouTube

これは℃-uteの2013年ひなフェスの練習動画

先生はもちろんいますが、
メンバーそれぞれが
ダンスやフォーメーションについてなど、
意見を出しあって、改善する姿がみられます

これはほかのハロのグループもそうで、
ハロ以外のアイドルもこんな感じなのかな?

10代の若いメンバーも、
スタッフに物怖じせず意見して
それが受け入れられる環境があるって、
ほんとにすごく稀有なことなんじゃないかと
おもうのです

そんな職場ですら
なかなかないような気すらするのに、
ましてやアイドル

事務所の操り人形になってもおかしくないのに
この積極性と自主性

自分のからだで感じ、考え、変えていく
だからこそ、のびる

一流のアイドルとして、成長できる土壌が
ハロにはあるんです


Dance lesson of Hello! Project #1 - YouTube

ハロのメンバーが一堂に会する
年に2回のハロコンでは
グループの垣根を越えて、
シャッフルユニットが組まれます


ハロー!プロジェクト モベキマス 『ブスにならない哲学』 (MV) - YouTube

過去にはハロメン全員のユニットもあったり
モベキマスブスにならない哲学」!
いや~もうほんと良曲です

タイトルからして最高にキャッチー
歌詞もつんく臭すごくて(いい意味で)
たまりません

そうハロの大きな強味であり魅力は、
長年つんくさんが携わってきた楽曲!

わたしはつんく楽曲大好きです
楽曲厨と言われても差し支えありません

耳馴染みのいいメロディー
くせになるリズム、グルーヴ感
そしてあの歌詞!!

歌詞について語り始めると
今夜は眠れなくなるので、またの機会に

数々の名曲は、紹介しきれないほどあります
(それもまた別記事で)

ハロの素敵なところは、
その楽曲を財産として、
ハロ全体で共有しているところ

ハロ全体で1グループの楽曲をカバーしたり、
持ち曲のシャッフルをしたり、
昔の名曲をライブのセットリストに入れたり、

とても多様な楽曲の活かし方をしています

そしてメンバーそれぞれに
お気に入りの曲やダンスがあったりして


スマイレージ メンバー参加 シャッフルコレクション Hello! Project 2013 SUMMER ~マゼコーゼ~ [HD 1080p] - YouTube

わたしハロコンが大好きなんですが、
この動画を見たらわかるように、
演目を披露してる子たちの脇にいる、
雛壇に座ってる出番待ちの子たちが、
振り付けを踊ったり、手拍子したりしてるんです

この子たち、テンション上がったら
立ち上がったり、跳ねたりしちゃうんですよ

顔を見合わせて笑ったり、
ふたりでハート作ったりする子たちもいます

ここ、完全な無法地帯なんです

なにこの自由きままな感じ!?
放し飼いのペットみたいな!!

ほんと、この雰囲気がたまらんのです

真剣な表情を見せたり、楽しげにしたり、
わちゃわちゃお喋りしたり
ハロメンバーの良さが活かされてるのは
ハロ全体の風土がおおらかだからだとおもいます

というわけで、
全部をひっくるめた結論が、
ハロは最強にコスパがいいということです

ファンクラブに入って3年になりますが、
ハロの全グループのイベントに参加できて、
先行予約でチケットがとれるんです

しかもチケット代がファンクラブ料金で
安くなるという尽くしよう

ほんとどこまでコスパいいの(´;ω;`)
ハロ推さざるをえません

ほんと、他アイドルのヲタの方にも、
一度ハロの動画見て、ライブ行ってみてほしい!
開眼するから!!たぶん!


ちなみにむすめん。の体制は
ハロを参考にしていて、
ジャニーズよりハロ寄りなので、
とてもコスパいいです、最高です

むすめん。についてもまたの機会に!

モーニング娘。鈴木香音の卒業に救われる

立て続けにアンジュルムについて書きましたが、
先日の2日連続武道館公演の2日めは
モーニング娘。'16 鈴木香音ちゃんの卒コンでした

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わたしがこの卒コンに行ったのは、
モーニング娘。の9期についても、
加入時から知っていて、応援してたから

モーニング娘。の中では
鈴木香音ちゃん(以下ズッキ)を推してたから

そしてそれと同時かそれ以上に、
新曲の「The Vision」を聴きたい
という思いが強かったことがあります

というのもわたし、
死産後、仕事復帰してしばらくして、
悩んでた時期があったんです

わたしはあまり悩んだり落ち込んだり、
くよくよしない方なんですが、
珍しくとても悩んでいました

その悩みは、
わたしは妊娠すると悪阻で入院してしまう
そうすると職場のひとにものすごく迷惑がかかる
それならわたしは子どもを望むなら仕事を
仕事を望むなら子どもを、

あきらめたほうがいいんじゃないか
そうすべきなんじゃないか

ということで、
わたしにとってはほんとに深刻な悩みでした

深刻さゆえ、誰にも話せずにいました
これもわたしにしては珍しいことです

そうやって悶々としていた日々のなか
モーニング娘。'16の新曲、
「The Vision」のMVを見ました


モーニング娘。'16『The Vision』(Morning Musume。'16[The Vision]) (Promotion Edit) - YouTube

青と白のワンピースを着た女の子たちが、
ゆるやかでやさしい旋律に合わせ、
美しく静かにおどっていました

そしてその歌詞ときたら


終わりなきMy Vision
たのしむことは人間の義務なんだよ
悪い想像ばかりしても何も得しない
笑おうよ

うららかなMy Vision
輝く未来わたしだけの未来
頭のなかにイメージさえ描ければ
掴みとれそうさ

終わりなきMy Vision
それでも全部わたしの人生なんだよ
誰になんと言われようが大好きな人生なんだな


まさかモーニング娘。の歌に救われるとは
思いもしませんでしたが、
わたしはこの曲を聴いて、
歌詞を頭のなかで何度も唱えて
本当に救われました

このメロディーにこの歌詞だからこそ
わたしの心にすっと入ってきたのだとおもいます

この曲は、卒業するズッキへの、
つんくさんからのはなむけの歌だな、
そう思い、つんくさんのライナーノーツを読むと
やはりその通りでした

つまりわたしはつんくさんからの
ズッキへのメッセージソングで救われた

ズッキの卒業がわたしを救ったのだなぁ

などと考えた卒業公演でした