ネテモサメテモ

強がったポーズの女の子

大丈夫?って聞かれても

流産後、職場で毎日のように聞かれていること
それが「大丈夫?」です

もう聞かれすぎて、
わたしに話しかけたそうな人の顔を見ると
あ、「大丈夫?」くるな、とわかるので、

食いぎみに「大丈夫です」と答えます
相手が引くレベルの満面の笑みで

この言葉はなかなか厄介なやつで、
他人に「大丈夫?」って聞かれても
「大丈夫じゃないです」なんて、
大概の相手には言えないわけです

大丈夫じゃない、と言ったあと、
相手は何を話すつもりなのかなぁ
こちらの重たい話を受け止めてくれそうにもないし
そもそも廊下で話すような内容でもないけど?

わたしを心配してくれるのはありがたいけど、
いきなりの「大丈夫?」は、
迷惑以外の何者でもありません

こっちの事情を知ってて、
なおかつ心情もわかった上での「大丈夫?」なら、
ある程度親くて、信頼感ある相手だろうから

「大丈夫じゃないかも…」なんて、
甘えたこと言えるかもしれないけど、

そうではない他人の「大丈夫?」への回答は
「大丈夫です!」(笑顔)以外ありえないわけです

だから本当にその相手のことを心配していて
話を聞きたい、助けになりたい、と思うなら
この聞き方はNG

こうやって漠然と聞くのではなく、
「○○だって聞いたけど、体調はどう?」とか
「私も○○の経験があって~」とか、
焦点をしぼって、自分の持つ情報を開示すると、
相手も話しやすいかな、と思います
(場所と時間はちゃんと考えた上で)

そしてもうひとつ

前情報のない、突然の「大丈夫?」は、
聞かれた方も、「ああ、○○のことかな?」と、
ある程度の推測はつくものの、

心当たりがいくつかある場合、
どれについて聞かれているのかわかりません

わたしの場合、前回悪阻入院していたことを
職場の人たちは知っていて、
今回妊娠~流産したので、

妊娠までしか情報が入ってなくて
「(悪阻)大丈夫?」と聞いているのか、
流産したことも知った上で
「(流産)大丈夫?」と聞いているのかわからない

そのことをこちらから聞く気にもなれません
何て言えばいいのかな
「えっと、流産のことですか?」とか?
「どこまで知ってますか?」とか?
「もう妊娠してませんけど?」とか?

わーやな感じ…
こう切り返されてもし流産のことを知らなければ
相手は「げっ」と引いて、かなり動揺するだろな
それであたふたして、
カジュアルに「大丈夫?」と聞いたことを
後悔すると思いますね

はっきり言って、それを聞く方は、
「大丈夫?」って言ってきた人の数倍つらいです
なんでわざわざ傷口に塩を塗らなきゃならないんだ
他人の半端な気遣いで、また心に血を流すんです

だから本当にその人のことを思っていて、
心から心配していて、話を聞きたい、
全部受け止められる、という覚悟がない限り、
「大丈夫?」なんて聞かない方が身のためです

そしてそれだけの覚悟があるなら、
職場で仕事中には話しかけないでほしい

お茶とかご飯とかの約束して、時間とって話す、
そのくらいの気持ちがないなら、
もう話さない方が気が楽かもしれないなぁ…

これはもちろん、相手のためでもあります
思いやりのスルー、という手もあるということです

デキ婚に感じる違和感

タイトルの通り、わたしは、
デキ婚に違和感(場合によっては嫌悪感)がある

※意図的なデキ婚はここに含めません
 あくまで事故としてのデキ婚についてです

まぁ現代の日本の環境や文化で育てば、
結婚や妊娠に対する価値観として、
デキ婚に否定的な考え方になるのは
まだまだふつうのことで

わたしもそうで、
妊娠と、それに付随する諸々を意識し始めた
高校生くらいからすでに、
デキ婚に違和感と嫌悪感があった
(死産、流産した今はますます募らせている)

でもその理由がハッキリとわからなくて、
もやもやしていた
(理由がわからないと、主張もできないから)

それが、今日、
次の妊娠について考えていたところ、
はっきりとわかったので、ここに記録する

わたしがデキ婚に違和感を感じる理由、

それは、デキ婚の場合、その多くが、
妊娠~出産が、性交渉の副産物に過ぎないためだ

引いては子どもも、その副産物に過ぎない、
あくまでも性交渉が目的で、結果としての妊娠だ

逆に、結婚してからの妊娠~出産は、
子作りのための性交渉を経た結果であり、
性交渉は妊娠という目的のための手段に過ぎない
(あくまでも現代日本における、多くの場合、です)

性交渉自体が目的ということと、
性交渉は妊娠のための手段に過ぎないということ、
これはかなり大きな違いだと、わたしは思う

妊娠~出産がめでたいことで、
また、現代において子どもは貴重なものだから、
デキ婚をした本人やその周りは、
それを容認、あるいは称賛することがままあるけど

いやでも結局、
子ども欲しくて作ったわけじゃないよね?
快楽を求めて理性を失った結果の副産物だよね、
と、まぁこういう風に考えてしまうわけです

あともうひとつ、パートナーを選んでない、
ということも、違和感の理由としてある

性交渉をしたからと言って、
その相手をその時点で、
人生のパートナーだと考えている人は少ないだろう
(考えている人は事情がある人だろうから除外)

ってことは、妊娠をきっかけに、
自動的にパートナーが決定するという流れなわけで
まぁ運命と言えば聞こえはいいけど、
自分で選んだ結婚相手というわけではないんだよね
と思ってしまうんです

結婚~妊娠~出産という流れの中なら確実にある、
結婚するまでの思考や判断の過程を省略…
すっ飛ばしちゃってるってことだもんなぁ

そ、それはまずいんじゃ…
と、わたしのような計画的な小心者は思うわけです

ま、ぶっちゃけ全部ひがみかもですけどね!!

結局は、せっかく24歳で結婚したにも関わらず
キャリアのことを考えて人生設計した結果、
子作りに入っても死産と流産を繰り返して、
結婚5年経っても出産できてないわたしの、
負け犬の遠吠えかもしれない

コツコツ計画的に、理性的に、
目の前ハードル超えようとして、超えられなくて
苦労しているわたしを横目に、

理性をなくして行為を楽しんでる女たちが
ハードルを軽々超えていく、
今のわたしにはそんな風に感じられるので、
いじけてるだけかもしれません

超えた先のことは、また違う話になるんだけど

わたしの場合、不妊ではなく不育で、
努力することすら許されない
それがもうどうにも苦痛で

デキ婚、うらやましくて死にそうです

妊婦が受け入れられない

最近のわたしを苦しめていることは、
よその妊婦を恨めしく思ってしまうことです

そういう年頃だからってのもあり、
職場にも妊婦(とその夫)がいるし、
身の回り(わたしや夫の友人など)にもいます

まぁこの社会に生きてれば当たり前のことですね

そう、そんな当然のことが、
二度続けて妊娠がダメになったことで
こんなにつらく感じられるようになるとは、
想定外でした

たとえば流産後、職場で、
妊婦さんのいる部署に行けなくなりました
その夫の名前を目にすることさえつらいくらい

彼女の姿を見なくても、妬ましくて恨めしくて、
たまらない気持ちです
会えばますますつらくなるし、
笑顔で話せるか、全く自信がありません

そういう自分の感情や反応について、
考えるだけでもつらく、重たい気持ちになります

前回の死産後、こんなエントリーを書きました

bo-ya119.hatenablog.com

ここに、死産後によその妊婦や赤ちゃんを見ても、
平気だったと書いてあります

一度め平気だったことも、
二度繰り返すと、傷が前より深くなっていて、
前と同じ反応にはならないこともあるんですね

ほんとに平気でいられなくて、苦しくて

たとえば妊婦さんや、その夫と会うことや話すこと
その機会があるかもしれないというだけで、
その場面を想像すると、
すごく億劫で、つらくなるんです

他人の妊娠が心の底から喜べないし、
そのことについて笑顔で話せる自信がない

そしてこんなに狭量な自分が許せなくて、
恥ずかしくて、たまらない気持ちでいっぱいです

他人が受け入れられないということは、
結局は、
自分を受け入れられてないことなんだって、
今回のことで痛感しました

自分が、自分の思う、理想の自分でいられない、
いい人間でいられないから、
そんな自分を受け入れられない

これってこんなにつらいことなんですね

恨みや妬みが、恥ずべき感情だということ、
わたしと、よその妊婦さんとの出来事は
関連性のないことで、
もちろんよその妊婦さんには何の罪もないこと

もちろんわかっていますし、
そうやって割りきって、涼しい顔をしていたい

でも卑屈な感情は、理性を超えて、
わたしを満たしてしまって、
自分ではもうどうしようもありません

夫はこの感情を全く理解してくれず、
妊婦のいる場に連れ出そうとすらしてきます

その度にわたしは、
卑屈な自分と対峙することになり、
その自分を受け入れられず苦しみ、
夫に泣きながら説明する羽目になっています…

時間がたてば、卑屈なわたしはいなくなるのかな
それとも、
そんな自分を受け入れられるようになるんだろうか

そうなっても、ならなくても、
なんだかずっとつらいような気がしています

親、子と不育と

いただいたお休みで、実家に帰ってきました

母と話していたら、
母が義母に、今回の流産について、
謝ったということが発覚

もちろんわたしは謝ってませんよ
自分が悪いと思ってないし、
責任の所在を探すのは無意味なことだと思うから

最初の死産のときも、悪阻で長期入院したりして、
夫にさんざん迷惑かけて、その上で死産したため、
母はわたしの夫やその母に、
申し訳ない、片身の狭い思いをしたと思います

気持ちはすごくよくわかる
すごく優しくて、大好きな、尊敬する母です
価値観もかなり受け継いでいます

わたしが今悩まされてる蕁麻疹についても、
遺伝や体質のことを気にして、
自分がわたしを妊娠中に○○だったからかも、とか
未だに言ってるような母です

やはり、自分が産み落とした子だから、
その子がある意味で不能だったことについて、
負い目を感じてるんだと思う

日本ではまだまだ一般的な価値観だろうな、これ
自分の子どもの汚点は自分のせいだと感じること、
そしてその表明を無理強いされることすらある

でも、わたしはそういう親にはならない
意識的にそうならないでいたいと思う

もちろん、わたしも今の母の立場になったら、
娘の夫やその親に申し訳ない気持ちになると思う
それは自然な感情(わたしにとっては)なので、
仕方ないことだけれど

それを相手に謝ったりはしない

それは意識的にできることだし、
そうすることで、自分の意見を表明できる

不妊や不育について、当の夫婦たちは戦っている
生活の中で、苦しみながらも、日々戦っている
それは本当にとてつもない苦労で、
(身体的にも経済的にも)

そのことを、血が繋がっているとは言えど親が、
身をもって知る、わかることはない

それがどういうことか、わかっていないのに、
子どもの不出来について、
代わりに謝ったりすることは、
必死で戦っている娘や息子に失礼な行為では?と
わたしは思ってしまう

まぁ母にはそんなこと言わないけど

母が義母に謝ったことに、怒りは全くありません
それは母なりの誠意なんだろうから
ただ、わたしだったらそうはしないな、と
思うだけです


夫の母はそういう考え方…
つまり親は親、子は子、という考え方

成人した子が、結婚相手に何か迷惑をかけたとて、
それはあなたたち夫婦の問題よ、という考え方を
ナチュラルにしている人で、

わたしの母とベクトルは違うけど、
やはり義母のことも、わたしはすごく尊敬してます

夫が自分の両親に
「仕事を辞める、次のことは決めてないけど」
と言ったとき

わたしは、夫の両親に謝られたりするのかな、と
少し思っていました

まだまだ夫が外で稼ぎ、っていうのが
当たり前の世の中だから、夫が仕事を辞めたら
働いて夫を支える形になるわたしに、
申し訳ない、ってことになったりするのかな、と

でも夫の両親はそんなこと一言も言いませんでした
「ごめんね」も「苦労かけるね」も何も

格好いい!さすが!とわたしは思いました

義両親はずっと共働きで、
二人とも両親を早くに亡くされています
色々と苦労がありつつ、
二人三脚で子どもを3人育て上げています

それだから、こういう考え方が
意識せずとも身に付いているんだと思います

わたしは多分意識しないとできない
意識しても、ついやっちゃいそうですが、
そういう風でありたいと思うのです
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掻把手術その後【死産後流産その5】

セカンドオピニオンから2日働き、
1週間と1日ぶりに
かかりつけの産婦人科医へ

予想通り、心拍がとれなくなってからも、
一度も腹痛や出血はなかったことを伝える

思っていた通り「稽留流産」とのこと

4日前の内診では見えていた胎芽も、
小さくなってもう見えなかった

今週中に手術かなと、木金あたりを見越して
仕事のスケジュールを調整していたのだけど
早い方がいいと、次の日(水曜)手術になった

死産のときのように、
事前処置(恐怖のラミナリア)はなしとのことで

先生曰く「この週数(9w)なら大丈夫」とのこと

診察後、勤務先に提出する診断書を書いてもらう
わたしの職場では1wの流産後休暇がもらえるのと
掻把手術後1wは安静の指示が一般的らしいので

先生にその旨伝えると
「先のこともあるから10日で出しとくね」と

この配慮により、水曜日が手術だったので、
元々のお休みと合わせて12日間お休みになりました
(手術から2回目の月曜日復帰)

体の回復は順調だったとしても、
気持ちを切り替えて、落ち込まずに働けるか、
さすがに不安があったので
先生の配慮がありがたかったです

そして手術
朝一番の8時半に病院へ(飲食厳禁)
診察時間より前なので、
病院には患者さんはおらず、静かでした

付き添いは1人まで可だったため、夫と行きました

しかし!
 看護師さんに
「駐車場が込み合うので、お昼頃にお迎えに来て」
 と言われ、夫いったん帰宅
付き添い可って案内の紙に書いてあったのに…

今思えばあの時食い下がればよかったのですが、
手術を控えてそれどころじゃありませんでした

わたし一人別室に通され、
手術着に着替え、ベッドの中へ
点滴が始まる(麻酔なし)

迎えに来た看護師さんと手術室へ
診察台に上がり、静脈注射で麻酔
数を数えて、12あたりで気を失う

その後は悪夢を見ているような感じ
すごく痛い(実際に痛いわけではない)、
嫌なことをされた!!という思いで、

ベッドに担架?で戻されて
麻酔の気持ち悪さで胃液を何度か吐きました

麻酔から徐々に覚めるけど、
すごく嫌な気持ちなので、声を上げて泣きながら
夫の名前を呼んで探すも彼はおらず

独りきりの病室で、手を握ったり、
慰めてくれる人もおらず

朦朧とした意識の中で、
夫に「きて」とメールを送りました

近所の病院なので、
いったん帰宅していた夫がすぐ戻ってきてくれ、

わたしの様子を知っていた看護師さんは
さすがに追い返しはせず、
「旦那さんが来てますが、通していいですか?」と
わたしに聞いて、部屋に通してくれました

夫が来てくれ、やっと安心できましたが
つらい気持ちは消えず、
横向きに体を折って、ずっと泣いてました

悪夢を見て、泣いているときのような感じ

冷静になれば
「あれ、何であんなに泣いてたんだろう」みたいな
かなり精神的につらかったんだなと実感しました

12時過ぎ、手術から3時間くらい経ち、
術後の診察を受け、
子宮収縮と抗生物質の薬をもらい、帰宅しました

術後の注意はこんな感じ

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流産の掻把手術は、中絶のそれと同じなので、
時々「ん?」という記述がありますが

この注意に従って2日安静
家から出ず、ほぼ横になって過ごしました
もうほぼ何でも食べられるようになりました

わたしの場合、出血は術後3時間以降はほぼなく、
腹痛もほとんどありませんでしたが、
めまいと立ちくらみ、フラフラ、
熱があるときのような倦怠感はありました

あと、元々慢性蕁麻疹があるのですが、
手術翌日から臀部周りに酷く症状が出て、
結構つらかったです(今も治まらず)

3日後に経過診察
経過は良好とのことで、
追加で3日分抗生物質をもらい帰宅
体調もよく、3時間ほど外出できました

セカンドオピニオン【死産後流産その4】

ネットでいろいろ調べてみたところ、
稽留流産の診断は、
その産婦人科の機器や医者の腕によって
変わることもある、らしい

まぁそうだよなと納得して、
流産はおそらく確定だとわかっている前提で、
前に悪阻で入院して死産もした市立病院に
行くことにしました

予約なしなので2時間くらい待ったかな
診てくれたのは、若い女医さんでした
多分わたしたちと変わらないか年下くらいの年齢

内診して、やはり稽留流産でしょうとの診断

先生が質問ありますか?と訊いてくれたので、
「進行する可能性とかタイミングとかは
 わからないんですよね」とだけ

予想通り「それはわからない」とのこと

わたしは納得して、「ありがとうございます」と
去ろうとしたのだけれど、

待ち時間が長かったせいか、
わたしの対応が気に食わなかったのか、
付き添ってくれてた夫が
食い気味に先生に質問を始めた

曰く、「染色体の検査が~」「不育症が~」と

女医さんがそれなら
「もっと詳しいドクターがいますので」と、
一旦奥に引っ込むと、

夫はわたしに叱り諭すように
「もっと聞きたいこと全部聞かないとだめだろ」と

わかっていたとはいえ、期待はしていた
稽留流産の再診断にショックを受けていたわたしは
事実を受け止めるだけで精一杯で、
これから先のことを考える余裕はまだなかった

それなのに夫は続けて
もう稽留流産と確定したのだから、
元の病院に、手術や日取りについて聞けと言った

病院に行くのも、手術をするのも億劫で
できれば先延ばしにしたいくらい
自分の仕事のことも考えないといけないし
(早出遅番休日出勤ありの業務のため)

なのになんで手術を受ける本人ですらない夫に
そんな風に言われて急かされなければいけないのか

「それなら別に付き添ってくれなくていいよ」
と言い返すと、夫は気分を害したらしく、
「そういうことじゃない」と黙った

あまりの理解のなさに、先生が戻ってくる前に
泣いてしまった
病院で泣くなんてなるべくしたくないのに
身内に傷口をえぐられてしまったから

その日、泣くつもりはなかったのに、
夫の無神経さに帰宅後もずっと泣いていた
独りで来た方が100倍マシだったな、と思った

男性はそもそも、体の構造上、
子どもをわが子と実感する機会が少ない

うちの夫は子ども大好きで、
死産した時も、赤ちゃんに話しかけたり
着替えさせたりと手をかけていたけれど

長い間お腹にいた後期死産と比べて、
流産はあっという間のできごとだったから
わたしほどの実感はできてないだろうな

わたしは流産の処置、
体より心の負担がずっと大きかったです

死んだ子を抱えて働く【死産後流産その3】

心拍確認ができなかったのが先週月曜
そこから3日間仕事だった

多分もうほぼ確実にダメだとわかったから、
職場の人にぽつぽつと報告をする
(同じフロアで働く4割くらいは知ってたかな)

わたしはあまり重くならないように、
(初期流産はよくあることでもあるし)
軽いノリで笑顔でごまかして伝えていたのだけれど

女性に報告すると、ほぼ全員、
さっと顔色が変わり、涙ぐんでくれるため
何度もこっちがもらい泣きしそうになった

仕事中は、ビジネスライクでクールな印象の方が
多いのだけれど、(私語とかほぼない)
そういう人も例外なくそういう反応をとるため、
とても意外だった

女職場で、未婚の先輩職員も多いが、
同じ女性というだけで、こんなに通じるものなのか
こちらの心情への寄り添いがあって、嬉しかった

前回の死産の時は、
長期入院したまま死産に至り、
復帰後は誰もその話題に触れてこなかったので
こういう感じなのかと初めて知った

わたしの職場は公私混同がなく、
結婚や子どもの有無などの基本情報ですら
プライバシーとして守秘することを
本人の意志として尊重するような風潮がある
(大所帯なのに陰口とか一切なくてびっくりする)

みんな優しくて思いやりがあるのだけど
普段はポーカーフェイスでクールに働いているから
本当の顔を忘れてしまうんだな

流産の報告をするのがつらいから、
初期報告を避ける人が多いらしいけれど、
こういう職場なので傷つけられることもなく、
わたしはその点はそこまで気にならなかった

というか悪阻酷いため、知ってもらっておいた方が
働きやすいということもあるし、
どうせ流産したら休暇もらってバレるよね…?

(妊娠の初期報告をせず、
 流産も秘密裏に処理する人は、
 休暇もとらずに一人で耐えるのだろうか…
 そっちの方がむしろつらい気がする)

ただ、業務上どうしても迷惑をかけてしまうので
(手術もあり、流産後1wは安静休暇)
その点はすごく申し訳ないし気を遣うのだけど

そのことについて、面と向かって文句を言う人や
陰口を叩く人は、わたしの職場にはいない
クレバーな人の集団だから

たとえそのことに不平があったとしても、
(ないわけがない)
言葉にも顔色にも出さないだろうな
ただ黙々と仕事をする…

何しろ、前回死産時に
悪阻入院3か月+死産休暇2か月で
長期不在だったにも関わらず、

その情報が全く共有されておらず
つい先日「子どもさんはどうですか?」
と声をかけてきた人がいるほどだ※

※噂話のネットワークがないため、
 わたしが死産したことを未だに知らない人がいる

まあそんなわけで、働く環境に不満はなく、
むしろつらい時に仕事に逃げられることは
わたしにとって最大の救いなので、
働くこと自体には全く何の不満もなかった

ただ、「死んだ子をお腹に抱えて働いている」
自分の状況を認識している状況は結構つらかった

いつ出血(自然流産)するかわからない、
もししたらどう対処するのか、自分でできるのか、
倒れたらどうしよう

という不安もあった

3日間無事に過ごしたら、
休日、夫とセカンドオピニオンに行くことにした