ネテモサメテモ

強がったポーズの女の子

妊娠つらい 【3度目の妊婦生活記録】

死産してから2年というもの、非妊娠時はあの妊娠中のつらさをすっかり忘れて、ただただ妊娠を望んでいたというのに、いざ妊娠してみると、その生活の80%はつらい、苦しいの負の体調、精神に埋め尽くされていて、解放の時だけを夢見て暗黒の妊婦生活を送っています。

まず今回の妊娠は発覚から入院までが早かった…発覚したのが8月半ばで、9月初めには、楽しみにしていた夏休み中に、連続嘔吐が始まり、即入院となりました。

わたしの夏休みは、明けることなく、仕事もそのまま病休→休職へ。4月に異動になって、仕事はほとんどやりかけ状態だったのに、引き継ぎどころか机の整理すらできずに今に至ります…そのことを考えただけでも暗澹たる気持ちになる…なんて責任感のない社会人なんだろう、って。

1回目の入院は10月の終わりまでの50日間。3日と持たず前よりさらに悪化して再入院してさらに31日間入院…2年前の入院トータル日にちが60日だったから、今回の方が20日も長い80日だったんだなぁ。2ヶ月と3ヶ月弱かぁ。悪阻でトータル半年近く入院してることになるんだから、そりゃ嫌にもなるわ。

2回目の退院は11月の終わり。吐かなくなって、食べる練習をして、1日で1食分食べられるくらいになってから、外出2回と外泊1回、練習をして、満を辞して退院しました。もう前の時みたいに再入院したくなかったから。

退院後2週間は意外と元気に過ごせました。体力がなくなっていたからほとんど横になっての生活だったけど。夫が12月末で退職予定で、有休消化中だったため、ほとんど2人での生活。食事は作ると余るので、外食か惣菜で済ませていた1ヶ月でした。

悪阻は古い借家の寒さと臭いのせいもあるのでは、と退院後2週間で引越しもしました。わたしはほとんど戦力にならず、夫がほとんどの雑務を担いました。関東にいる弟と義理の弟もかりだして、手伝ってもらったりして。

引越し後、無理したからか、また体調は悪化。ほぼ寝たきりの生活の中、思い切って年末年始に帰省の計画を立て、年末に実家に帰省しました。家族のいる安心感からか、食欲も少し戻り、年明けに地元の病院で一度検診を受けてみると、わりに好印象だったので、里帰りには少し早い時期(8ヶ月)でしたが、わたしはそのまま地元に残ることにしました。(夫は離職のあれこれもあって、関東と地元を行き来している)

それから2ヶ月弱経ちました。妊娠後期となり、後期づわりがばっちり始まり、体調は決して万全とは言えません。悪阻の時期に始まったよだれづわりは治らず、どこに行くにも唾吐き用の缶を持っていきますし、食べられる量も普段の半分かそれ以下。食べられないから、悪阻で落ちた体重7kgは、まだ半分しか戻っていません。長時間の外出は体がきついから、出かけても近場に外食か買い物程度。好きなように行動できないからストレスたまります。吐き気も気持ち悪さも残ってるし、肩こりも酷い。

夫とべったりだった生活から夫と離れた生活に変わって、精神的にも不安定に。子どもを望んだのは自分なのに、きちんと面倒見て子育てできるのか、子どものいる生活に耐えられるのか、漠然とした不安に日々襲われています。産後鬱の産中バージョン?元々心配性な上に妊娠中のホルモンバランスの乱れが影響してるんだろうなぁ。不安が止まらない。

マタニティハイなんて気配は微塵もなく、満ち足りた笑顔でお腹を撫でる余裕もゼロ。妊娠している時、わたしはいつも不安と戸惑いの連続です。そこに1人で(本当は1人じゃなんだけど、心はいつも1人)勇気をかき集めて飛び込んでかなきゃならない。もうへとへとです。

今まで妊娠しても、子どもは得られなかったけど、今回は子どもと会えそうな気がしています。そのとき、わたしは、子どもは幸せでいられるのかな、わたしはそこに向かって努力できるんだろうか。

やっぱりまだまだ不安です。

子どもを持てないことによる負い目

わたしの場合、一番に負い目を感じているのは、世間でも、両親でも義両親でもなく、他でもない夫です。

というか夫以外には感じてないかもしれないくらい。その分夫にはものすごく強く負い目を感じています。

 夫はわたしがそう感じていることに勘づきつつも、その必要性は全くないと思ってくれていますし、わたしも夫にその負い目を感じること自体が、わたしの基本的な思考や理念に反しているということはわかりつつも、でも感じずにはいられないでいます。

 というのも結婚5年目、夫が子どもを持てていないのは、すべてわたしに原因があるからだと思います。

 結婚1年目、わたしは就職活動をしていました。非正規の司書として2年働いて結婚、上京したわたしは、関東でなら正規職員として働く機会を得られるかも、と期待していたのです。そして運良くそのチャンスを掴み、翌春より正規の司書として働き始めました。

 さすがに就職初年から産休というのはまずいだろうという気持ちから、子どもを得るなら就職2年目以降かなと、1年目は仕事に邁進し、就職2年目、結婚3年目の晩夏に希望通り妊娠。

しかし妊娠悪阻で長期の入退院を繰り返した後、7ヶ月で死産、次の年は迷惑をかけた職場に詫びる気持ちから、仕事に専念しました。

 そして翌年、結婚5年目、就職4年目にあたる今年度の春、妊娠するも初期流産をし、夏に再び妊娠がわかり、ようやっと安定期までこぎつけました。

 結局は、わたしのキャリアによって、結婚5年目にして夫は子どもを得られないままでいます。わたしのキャリアの犠牲になった、という見方をしていいと思いますし、わたしはどうしてもそう感じてしまいます。

 だって夫がもっと家庭的な女性と結婚していれば、結婚5年目の今頃、すんなり三児の父になっていても、おかしくなかったのに、わたしなんかと結婚したために、妊娠の度に妻の介護をしたり、死産や流産を経験して一喜一憂したりする羽目になってしまってるわけで、本当に夫が不憫でなりません。

 それは、夫が良い人間であればあるほど、わたしに対する振る舞いが善良であればあるほどそう感じられるので、わたしはもうどうしようもなく申し訳ない気持ちでいるのです。

考えてもどうしようもないこと、わかってるんですけどね。多分不妊や不育でなかなか子を得られない方々にはみなさん、共通する思いだと思います。

 だって不妊や不育の治療を長いことやってるってことは、夫婦の仲がいい、絆が強いってことだから。そうじゃないととっくに別れてるよね。

夫婦に離れたくない、互いの血を継ぐ子が欲しいという思いが強いからこそ、つらいつらい日々を耐えてるはず。

 がんばってる皆さん、1人じゃないです。同じ思いで闘っている仲間がたくさんいる。もちろん夫もその仲間なんです。この日々を耐えて、耐え抜いて、その先に何があるかわからないけれど、今はただ、この日々を乗り越えましょう。1日1日。

自家中毒の可能性【悪阻入院5回目記録】

入院して約80日、前回の悪阻入院のトータル日数に追いついてしまいそうな今日この頃です。
 
このブログへのアクセス数、普段は100いかないくらいなのに、先週から280とかになってて、何事かと思いきや、ドラマ、コウノドリで死産が扱われたらしいですね。
 
「泣けるコンテンツ」として、わたしたち家族の話が消費されてるのかな、と思うと、何となく哀しい気がする反面、人間だからそういう気分の時もあるよね、とも思うし、こういう出来事が実際にあるんだってことを知ってもらえるだけでも、ブログを書いた意味があるな、と思います。
 
最近すごく情緒不安定で、特に先週末、久しぶりに嘔吐してしまってからは、漠然とした(としか形容できない)不安にかられて眠れなかったり、夫と言い合いになったり、涙が止まらなかったりしてたんですが、その不安から逃れたい一心で色々調べてるうちに、あることに気がついて、今日はすごく心が穏やかです。
 
そのあること、というのは、わたしの規格外の悪阻が、タイトルにある「自家中毒」に近いものではないか、ということです。
 
自家中毒は、普通小さい子ども〜小学校高学年くらいに起こりやすく(大人でもなる場合がある)、だるさ、嘔吐、腹痛などの症状が見られるそうです。
別名、アセトン血性嘔吐症、周期性嘔吐症とも呼ばれ、嘔吐に特化する症状が多いことがわかります。
 
ストレス性によるものが多く、特にプレッシャーを感じた時や、環境が大きく変化した時に、発作的な嘔吐が止まらなくなり、10分間隔で続いたりすることがあるらしい。
急激に低血糖になり、同時にケトン体が出るらしく、治療は、糖分と水分の補給(点滴)、制吐剤、吐き気どめの服用が中心になるとのことで、4〜5日もすれば症状は落ち着くとのこと。
 
すごくわたしの症状(というか悪阻の症状?)に似ています。
ただ、妊娠悪阻で入院したりするレベルの妊婦でも、そのほとんどが、時期を過ぎれば、そこを脱するのに対して、わたしは退院して自宅に戻る度に、嘔吐の発作に襲われて、15分間隔で吐き続けて、ケトンを出して再入院になる、というところが違って、この発作を起こす症状の出方が、自家中毒と似ているなぁと気づいたんです。
 
おそらく最初の入院は、妊娠して悪阻が始まったことによる嘔吐によるものだと思います。でもそれ以後の再入院は、この自家中毒に近いものかもしれません。
例えば前回の妊娠のとき、家に戻って2週間過ごした後に、嘔吐の発作が始まったこと(おそらく職場復帰のプレッシャー)や、その後も、病院から家に戻って数日もしないうちに、嘔吐の発作が始まってしまったこと(おそらく病院と家との環境の変化や不安感)も、この症状に似た仕組みのものだとすれば、納得がいきます。
 
だってもう現時点で点滴とって1週間たつのに、ケトン出てないし、吐いたの1回きりだし、鼻も鈍感になって、食欲も出てきたから、悪阻はかなり弱くなってるとおもうんですよね。
まぁまだまだ日によっては、だるさや気持ち悪さがあって動けなくなる時間帯はありますが…。
 
わたしの症状が自家中毒に似ているということは、家に戻って数日間、嘔吐の発作さえ止められて、精神的に安定が保てれば、普通の生活を送ることが可能かもしれないということでもあります。
だから次の退院では、退院後も引き続き制吐剤や吐き気どめなどを定期的に服用して、最低限の飲み食いをして、このストレスによる嘔吐の発作を止められれば、再入院の可能性を限りなく低くすることが可能かもしれません。
 
妊娠中は、精神的に不安定になりやすく、自律神経失調症にもなりやすいため、この自家中毒に似た症状がわたしに引き起こされたと考えても、まぁ不思議ではないのかな、と思いました。
 
悪阻が終わらず、発作のように嘔吐が止まらないなど、こういう方が他にもいらっしゃれば、もしかしたら、こういう症状の可能性もあるかもしれません。

f:id:bo-ya119:20171115145307j:plain

悪阻でとれる仕事の休み【悪阻入院5回目記録】

今回、前科もあるということで(一度目の妊娠で、死産するまで悪阻のぶり返しが幾度か続いて、結局復職できなかったこと)、上司からのすすめもあり、産休まで休職することになりそうです。

悔しくて泣きましたが、職場側としてもそちらの方が対応しやすいですもんね…

今まさにその手続きを進めていますが、これまでにわたしがとった悪阻による休みについて、まとめてみようと思います。

前提として、わたしは地方公務員ですそのため、かなり恵まれた環境にいます。そのことも加味した上で、ご参考にしてもらえればと思います。

① 有給休暇

単発で休みをとりたいとき、まず使うのは有休かと思います。

わたしの場合、1年に20日、有休がとれます。年末で新たに20日の付与があり、2年の持ち越しが可能なので、最長40日持つことができます。

ちなみに、育休中も新たな付与はされるのが、スタンダードみたいです。出産後の有休は貴重だと思うので、そのことも確認しておくといいかも。

今回の悪阻で、わたしは初っ端入院したので、有休をとることはできませんでした…涙

②妊娠症状に関する休暇

色々な名称があるようなのですが、つわり休暇だとか妊娠障害休暇、妊娠症状対応休暇など、全て同じものを指します。

すなわち、妊娠による症状に対する有休のようなもので、1〜2週間分用意されてるようです。これは、妊娠ならではの休暇なので、とれる環境であれば、とりたいですね。

わたしは有休と同じ理由でとれませんでした…

③病気休暇

悪阻に限らない、病気に対応する休暇です。

病気休暇は、医師の診断書により、職場に申請する休暇で、基本的には有休と同じで給与が貰えます。ただ、期間が限定されており、わたしの場合は3ヶ月まででした。

この病気休暇の期間を過ぎると、④の休職に移るという流れが一般的なのかな?と思います。わたしはそうでした。

④休職

③の病気休暇との違いは、診断書に留まらない、医師による審査の可能性があること、給与の制限、期間が長いこと、雇用解雇等に繋がる可能性があることが挙げられるかと思います。

医師の判断によっては、 数ヶ月、半年などの単位でとれますが、給与は減給や無支給になる場合がありますこのような場合には、健康保険などから傷病手当なるものがいただけるそうです。

わたしの場合、妊娠による悪阻が原因なので、産休まで休職をとる形になります。

病気休暇3ヶ月+休職3ヶ月で産休に入る予定です。

悪阻で産休まで入院するというパターンはかなりレアかと思いますが、わたし自身がそうなってしまったので、なくもないことかな、と思います。

悪阻で休みをとるって、すごく気が引けることなのですが、なってしまったものは仕方ないと腹をくくるしかありません。

悪阻で苦しんでいる同志の皆さん、

今日も頑張りましょう!

f:id:bo-ya119:20171103102815j:plain

 

 

悪阻とジプレキサ【悪阻入院5回目記録】

久しぶりです、実は入院中です。死産の時から数えて通算5度目、つらいです。

でも、わたしが入院しているということは≒妊娠したということなんですよね。というわけで3度目の妊娠をしました。

 

現在16週、5ヶ月、安定期入りたてです。まあわたしに安定期なぞ無縁なのですが…

今回の妊娠で入院したのは、以下の通り

1回目 9月3日 8週 〜 15週 計48日間

2回目 10月23日 15週 〜 現在 11日目

 

1回目の入院は1ヶ月+2週間強に及び、ようやっと復活、退院したと思ったら、またその翌日から自宅で暇のない嘔吐が始まり、外来で点滴→ケトン++で再入院となりました。

今回の再入院は、これまでで一番つらくて、入院、24時間点滴をしても回復の見込みはなく、絶飲食してるのに、吐いて、吐いて、吐いて、夜中も1時間置きの嘔吐に見舞われ、ベッドでのたうちまわり、床にもんどりうって、赤や黄色や緑やグレーのあれこれを吐き、点滴も吐いてることがわかるくらい口の中から血と点滴の味が常にしている、という状況が5日間続きました。

ほんとに、ほんとに、これまで生きてきて一番つらい経験でした。(もう二度としたくないのだけど、まだ妊娠折り返し地点にすらきてない…死ねと?)

やっとこさ回復してきたのは、ここ2、3日のこと。わたしの嘔吐に携わった助産師さん達は、わたしと顔を合わせると、皆口を揃えて「元気になったねぇ…」と言ってくれます。その節は本当にご迷惑をおかけしました。

と、前回の入院のときには、気力体力がなくて全く書く気にならなかったブログを、今回なぜ書いているかというと、同じく悪阻で苦しむ方々に情報を共有したかったからです。

今回のわたしの、なかなか手強い悪阻、どうやって快方に向かったか。

まず入院時のわたしの病状を説明します。

主な症状は3つ、吐き気、嘔吐、胃痛。常に胃痛があり、定期的な吐き気があり、吐いたり吐けなかったり、気持ち悪いので吐きたいけれど、吐くと胃痛が悪化という、悪循環でした。

そこに、病棟長の判断で処方されたのが、ジプレキサでした。知ってる人は知っている、抗精神病薬です。本来はそうなのですが、最近は抗がん剤治療の制吐剤としても使われているそうで、今回わたしの悪阻にも効果が見込まれ、少量処方されることとなりました。

副作用に眠気があり、数日まともに眠れてなかったわたしは処方された晩から、眠れるようになりました。眠れるようになると回復は早く、まずあの苦しかった胃痛がなくなり、吐き気は薬で抑えられ、今に至ります。

ここで一番の不安として、胎児への影響が考えられます。実際この薬、胎児の心臓の一部欠損が見られているものだそうです。

しかしわたしはすでに妊娠初期ではなく、心臓の形成時期を過ぎており、また処方も少量であることから、問題ないと判断されての処方でした。

これまで、特別に薬を処方されたことはなかったので、それほど今回の悪阻は酷いというのがわかると思います…泣ける…

先生も見るに見かねて処方、といったところかと。なるべく薬出したくないでしょうしね。

毎日赤子の心音をとっていますが、今のところ元気みたいで、安心しています。

 

もし、本当に規格外の悪阻に長期間悩まされている方がいたら、こういう薬を使うという手もあると紹介したくて、この記事を書きました。

 

f:id:bo-ya119:20171102161831j:plain

東洋医学はどうでしょう

お久しぶりの記事です

流産後職場復帰からこっち、
部署異動後で仕事が忙しいのと試験があったのと
ブログ書く気分にならなかったのでこの時機に
(結局最後のが一番の要因)

そうそう、前から漢方(東洋医学)に興味があって
でも薬があまり好きではないので、
のばしのばしになってたんですが

死産に続き流産したことで、
ちょっと不育症の線についても
考えないといけないなーてことで、
とりあえず、行ってみたわけです

クリニックでの本格的な検査に踏み切ると
結構お金がかかるし、まだ年齢が若いため、
医者に「あと1回流産したら検査」と
言われているため、
一旦西洋医学と距離を置いてみた感じ

不育症の方のブログに、
漢方も使ってるって書いてあるのも
ちらほら見たこともあり

でもわたしが最初に漢方に興味をもったのは、
中島たい子『漢方小説』がきっかけです

漢方小説 (集英社文庫 な 45-1)

漢方小説 (集英社文庫 な 45-1)

著者の得意な、ちょこっと不幸せな女性が
ある主題と出会い、ちょこっと幸せになる、
というハートフルなストーリー
中島たい子さんの小説面白いのでおすすめです

逆に言えば、わたしの東洋医学の病院、
医者に対するイメージは、
この『漢方小説』にしかありませんでした

だから逆に、こんな素敵な医者いるわけねー
こんな素敵な診療あるわけねー的スタンスで
行ってきました

行ったのは、住んでる市内に唯一の
東洋医学専門の医院(漢方婦人科というのがある)
中国人の先生がやってるらしい

色々訊かれるとメンタルにきてやだなーと
行く前から思ってたけど、
まぁ訊くのが診療のひとつでもあるしと
行き道でどう伝えるか考えたりしました

案の定、
受付で「今日はどうなさいました?」と訊かれ…
あれほんとやめた方がいいよね…

すぐ後ろは待合室でさ、みんな聞こえてるのに、
病気のことべらべら喋れるわけないでしょうよ

「特に今どうこうってわけじゃないんですけど、
 死産と流産が続いて、
 次の妊娠に向けて備えたいんです」

って感じにぼそぼそ伝えましたけど

またまた案の定、受付の方はハッとした顔をして
(そんな顔するなら最初から訊かなきゃいいのに)
ではこちらにご記入くださいと、
問診票を渡されました

何なんだこの過程、必要?
この人、ただの受付の人なのに、
わざわざ口頭で病状訊く必要あるのか?
絶対ないだろ

最初から完全にいらつきモードでしたね
受付の人自体は別に悪い人じゃなかったのよ
ただ、こういうシステム自体が疑問です

さて何だかんだ30分くらい待って問診

ホームページの漢方婦人科の具体例に
不妊症はあったものの、不育症はなく、
でもまぁ婦人科って謳ってるくらいだから、
と思っていましたが、

やはり先生そちらにはあまり明るくないらしく
何だかもやもやした感じでした

こちらの経緯を伝えるも、
「で、ちゃんと検査は受けてるの?受けてない?」
とかって、西洋医学前提の台詞…

だからそっちが受けるに受けられない状況だから
こっちに来てみたんでしょうよ…(伝え済み)

脈と舌はおざなりな感じで診て…

わたしが妊娠中以外はばりっばりの健康体で、
特段気になる点はない(肩こりくらい)と話すと、
多分先生もどうしようもない感じだったんだろな

結果、婦人科でよく出されるらしい
「当帰芍薬散」という漢方と
肩こり用に「葛根加朮附湯」という漢方を出され、

なぜか不育症の(先生はホルモンと言ってた)
血液検査を受けることになりました
それってもはや東洋医学じゃないんじゃ、
と思いながらも、ま、いーかと、受けることに

検査項目
f:id:bo-ya119:20170722122425j:plain

この検査意味あるのかな?
項目見てもわたしにはわかりませんが…

まぁこれで4,580円
漢方が740円だったので、損しても別にいっか
次回(来週)の検査結果聞けば、
意味があったのかわかりますね

また報告します

【後日談】
 ホルモン…?の検査、
 問題なしでした

雨の日に聴きたい曲【2曲目】

お題「雨の日に聴きたい曲」

1曲目にレミオロメン「雨上がり」を挙げました
どちらかというとポップではねるリズムの曲

お題は「雨の日に聴きたい曲」なんですが、
「雨上がり」はわたしにとって
「雨の日と言えばこの曲」って曲です

これに対して2曲目は
お題通り「雨の日に聴きたい曲」
まぁ本当は雨の日でなくても聴きたくて、
実際いつも聴いてる曲なんだけど

ひこうき雲

ひこうき雲

ユーミンのファーストアルバム「飛行機雲」収録の
「ベルベット・イースター」です

もうね、曲全体がしっとりしていて、落ち着く

わたしがこの曲を繰り返し聴くようになったのは
悪阻で入院していたときで、
寝る前にいつも聴いていました

病院の無機質で寂しい雰囲気にも合ってる

すごく音が小さくて、イントロはピアノ
寂しげでやさしいメロディー

歌い出しの歌詞は
「ベルベット・イースター
 小雨の朝 光るしずく 窓にいっぱい」

サビの歌詞は
「空がとっても低い
 天使がおりてきそうなほど」

小雨の降る、雲の垂れ込めたグレイな情景

そこに登場する女の子は
「迎えにきて まだ眠いけどドアを叩いて」
「きのう買った白い帽子 花でかざり
 むかしママが好きだったブーツはいていこう」

彼女いわく「いつもと違う日曜日」に、
いつも通り好きな誰かに会いにいこうとする

そんな、穏やかな雨の日の始まりを描いた曲です

わたしは雨の日がとても好き
特に家のなかで雨を感じるのが好きです
雨の気配、におい、音、湿り、

江國香織さんの小説の影響もあるかも
わたしも雨には「鎮静作用」があると感じます

雨はコーラがのめない (新潮文庫)

雨はコーラがのめない (新潮文庫)

追記

平成生まれのわたしがユーミンにハマったのは、
このベストアルバムがきっかけでした

「日本の恋と、ユーミンと」
おそろしくぴったりなタイトルで、
初めて知ったときはぞくぞくきました