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ネテモサメテモ

強がったポーズの女の子

あしたとさよなら【死産記録その1】

朝(あした)のいる病室にて

あしたはわたしの息子です
昨日(平成28年2月8日)、産まれました
亡くなったのはその2日前か3日前
誕生死(死産)でした

7ヶ月、24週の命でした
夫が考えていた胎児ネーム、
朝(あした)と命名しました

あしたとのお別れの記録です

2月6日(土)

悪阻入院中なので、毎朝の検温
助産師さんに心音も確認してもらう

あしたはいつも助産師さんに
「とても元気ですね」って言われるくらいで
ここまで悪阻以外のトラブルはなかった
少しの出血すら一度もなくて
心配したこともなかった

でもこの日心音がうまくとれず
エコーで確認することに
助産師さんはここでも確認とれず
でも「わたしたちはエコーあまり使わないので」
と、わたしの担当医を呼んだ

この時点でわたしは最悪の事態を想定した
「7ヶ月での繋留流産か…
 だとしたら死産(亡くなった子の出産)だな
 やだな、早くベッドに戻りたい」

担当医が来て、
わたしの想定通りの見立てを告げた
「昨日までは心臓動いていたけれど
 今は動いてない
 残念ながら亡くなっています」

想定したとは言え、まったく現実味がなく
涙も出なかった、半笑いだったとおもう

夫に電話をするように言われ、電話
夫の声を聞いて初めて涙が出てきた
「あのね、赤ちゃん心臓動いてないって」

助産師さんが電話をかわり
落ち着いて来てくださいと繰り返し夫に告げた

夫が来て、一緒に処置の説明を受ける

その日の午後か次の日から2日間
ラミナリア(海藻の棒、吸水して膨らむ)を入れて
子宮口を開ける処置をする

3日めに出産

この病院は自然分娩を推奨していて
痛みに弱くて無痛をするつもりだったわたしは
予定外に自然分娩で死産することに

死んだ子を産むこと
痛くて辛い処置をすること
なかなか受け入れられなかった

1日前までは、
3か月後には、故郷で子どもを産み育てる!
という目標のもと、
数ヵ月にも及ぶ酷い悪阻と戦っていたわたしが
まさかこんなことになるなんて

まさに悪夢だとおもった

悪阻は本当に苦しくて辛くて長く終わらなくて
死にたい、助けて!と何度もおもったけど、
でもあしたの存在だけが支えだった
あしたが元気な事実だけで耐えようとおもってた

中絶したい、もうあきらめたいとは
一度も思わなかった
あしたが産まれてきてくれるなら
これからの悪阻も耐える覚悟だった

でも自分のからだのことだけで毎日精一杯で、
あしたのことを二の次にしか考えられなかった
その報いなのかな?とか

わたしが何度も死にたい、って思ったから
あしたが身を引いたのかな、とか
罪悪感にも苛まれた

でも医師や助産師、夫、誰もわたしを責めない

あしたには先天的な異常があって
それが急激に進んだため、
死産になった可能性があるらしいけど

それと悪阻とはまったく関係ないらしい

それに、もういくら後悔しても、
あしたの魂はわたしのお腹にはなかった

わたしのお腹にはあしたの亡骸が遺されていて
それを早く返してあげなきゃとおもった

夫も泣きながら
「あしたを出してあげよう?」と言った

夫婦で話し合って
処置をその日に開始することに決めた

処置は痛かったけど、まだ耐えられた
ラミナリアを3本入れた
2時間ほど生理痛のような鈍痛に耐える

そうしたら夜には眠れるくらいだった

夫と泣きながら話をしてすごす