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ネテモサメテモ

強がったポーズの女の子

あしたとさよなら【死産記録その3】

平成28年2月8日(月)

あしたを産んだ日

朝、ラミナリア12本を抜く
子宮口は3㎝ほど開いているとのこと

そのまま分娩室へ移動
陣痛促進剤の点滴が始まる

一昨日から(というか3度目の入院では)
飲み食い一切できていないので
水分補給の点滴も引き続きなされる

分娩台に乗った10時前から、
すぐに定期的な陣痛が始まる

でも最初はまだまだ微弱な陣痛で
生理痛のちょっと痛いときくらいなので
夫と助産師さんと談笑できるレベル

夫は立ち会いができる喜びでハイテンション
モニター(お腹の張りを図る機械)の読み方を
助産師さんに尋ねたりしていた

夫の明るさに救われ、
死んだ子を産むことへの恐怖も
もうすぐ会えるという期待へと変わった

事実、夫は死んでいてもなお
あしたに会えるのを楽しみにしていた

お産の進め方やいきみの逃がしかた、いきみかた
誰にも教わらなかったし、
助産師さんも教えてくれなかったので

夫が前日に教えてくれた
「とにかく息を吐くことで痛みが和らぐから」
という言葉を信じて、陣痛の波に
ふーーーーーーと耐え続けた

4㎝、6㎝、このあたりが山場で
陣痛はぐんぐん加速していった

もう痛いということしか考えられない

下腹部と、腰が砕けそうに痛い
夫はほんとにずーっと手を休めることなく
わたしの腰をさすった
陣痛がないときも、さすり続けてくれた
もちろんずっと声をかけてくれながら

わたしは全然ひとりじゃなかった

助産師さんも交替で1、2人
常についていてくれて
その人その人の支援をしてくれたので
不安がなかった

なによりわたしには夫がついていた

どうにかなりそうなレベルの痛みで
もう陣痛の波も何もわからなくなって
我を失ってひたすら叫んでいたら

わたしの悪阻入院の担当の助産師さんが
「ちょっとお話聞けますか?」と声をかけてくれた
 
 「今、冷静になれてるでしょ
 あまり体力使うと持たないから、
 そのくらいの冷静さで臨んだ方がいいよ」と
アドバイスをしてくれて、

そこから痛みは変わらないはずなのに
陣痛の波の満ち引きを見極めて
痛みを逃がすことができるようになった

これでかなり楽になった

赤ちゃんは羊水の袋に入って下りてきていて
助産師さんが内診して
「もうそこまできているよ、頭だよ、よかったね」
と教えてくれた

頭から出てきているということで安心したけど
破水しなければ綺麗に産めると知ってたので
いきまずに下ろしたかった

あしたの祖父母に
綺麗なかたちで見てもらいたかったから

その気持ちで陣痛に耐えた

でも耐えられない波がいくつかきて
ついにいきんでしまい、

助産師さんに
「すごくいきみたいんですけど、大丈夫ですかっ」
と尋ねながらもいきみは止められず、
そのままあしたがするっと産まれた

17:39
分娩台に上がって8時間後のこと

その後、担当医がきて
1時間かけて後産の処置
お腹を圧されるのが痛かったけれど
陣痛ほどではなかった

夫はこのときもわたしの手を握ってくれていて
後日、胎盤を「レバーみたいだった」と言ってた

あしたが産まれたとき
綺麗な赤ちゃんですよ、
いま見ますか?後にしますか?と聞かれ
後で夫婦で見ますと伝えた

あしたは、助産師さんたちの手で綺麗になって
ワゴンに乗ってわたしたちのところにきた

思っていたよりこわくなかった
新生児は大体そうだけど、
あしたも赤い小さなおばあさん、という風情

新生児より皮膚が弱いから
ところどころ剥けた皮膚が痛々しいけど
でもどんな顔立ちかよくわかった

体重は24週で850gもあった
身長は32㎝で、思ったより大きかった

二人とも疲れていたけれど
その顔立ちを眺めながら
鼻は夫に、唇はわたしに、手足の指もわたしにと
それぞれに似てるところを言い合って、

3人で写真を撮ったりして過ごした

基本的に母子同室の病院で
死産の場合も例外ではなく
預かりも同室も可能だということだったので

わたしたちは3人で幸せな時間を過ごした

産まれる前の不安は消えて
あしたと一緒にいられることが幸せで安心だった

夜は悲しくなって毎晩泣いたけど
わたしの泣き声を聞き付けると夫が起きてきて
そばにいて何も言わずに慰めてくれた