あしたとさよなら【死産記録その4】
2月9日
あしたを産んだ次の日
わたしたちは幸せだった
死産をした夫婦にはとても見えなかったとおもう
わたしも死産をしてなお
こんなに安穏とした気持ちになれるとは
おもわなかった
すべては夫の愛情深さがなせるわざだった
わたしは産前から飲み食いをろくにしておらず
出産後でさらに目眩やふらつきが酷く
ほとんどベッドに横になっていた
夫は部屋にいるときには
ずっとあしたを見て話しかけていた
顔がいかついね
般若みたいな顔だね
あれ?でもほんとは笑ってるのかな、って
どんどん乾燥してくあしたの顔にコメントしたり
わたしが無知をさらすような発言をすると
君のお母さんはバカだね~と話したり
最近どうなの?そうなんだ、産まれたんだ!
と近況報告?をしたりしてた
体液や血液を拭いたり
顔のポジションを変えたり
助産師さんと着替えをさせたり
本当に死んだ子の世話とは思えないほど
嬉しそうに行っていた
わたしだったらあそこまでできない
助産師さんに
「あしたくんを見てもいいですか?」と聞かれ
嬉しそうに案内し、
「親バカなんですけど…」と
手指の長さを自慢したりもしていた
夫が笑顔なのでわたしも笑えた
わたしは悪阻産後の体調と
火葬(家族が来る)のことで頭がいっぱいで
しかもベッドからほぼ起き上がれず
あまりあしたの顔も見てやれなくて
自責の念もあったのだけど
そんな夫とあしたを見ていると
本当に幸せだった
夫もそうだとおもう
でもやっぱりあしたが生きていてくれれば
夫はもっと幸せだったなぁ
わたしが元気に産んであげられれば
とは何度もおもった
夫はあしたの顔をさわりながら
「君は静かだし、いくらさわっても泣かないから
何も気にしなくてよくていいよ~」と
言っていたけれど
二人とも本当は
あしたの泣き声が聞きたくてたまらなかった
わたしは昨日のお産が
(自分の経験として)いいものに違いないと
思ってはいたけれど
陣痛に耐えながら、
これを後何度か経験するのか…耐えられん
と思っていたし
死産を乗り越えるのには
月日が必要だなとも感じていたので
次の子どもは30過ぎてからでもいいかも…
と勝手に考えていたのだけど、
死産の胎児を相手に
あんなにも幸せそうな夫を見ていると
この人との生きて成長する子ども、
あしたの弟か妹もやっぱりほしいな
夫にわたしが返せることはこれが一番だなと
思い直した
また一定期間を置いたら
子どもをもうけるとおもう
あしたがわたしにくれたものは
命の尊さと
夫のかけがえなさ
明後日にはさよならだけれど
それまでの日々を夫、互いの両親と
大切に過ごしたい