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ネテモサメテモ

強がったポーズの女の子

ひがみねたみそねみ

息子を亡くしたからって
そういう経験をしたからといって
いきなり聖母のような精神になれるわけじゃない

なぜだかわたしたちには
そういうイメージの固定観念があるように思う

障がいのある人は性格が穏やかだとか
妊婦はつねにお腹撫でて心安らかだとかね

日常であまり関わる機会のない相手だからかな

前置きはさておき
死産後の今、自分の負の感情が気になる

中でもひがみねたみそねみ

死産直後、読み漁った体験談によると
テレビや出先で赤ちゃんや妊婦を見たり
赤ちゃん、子どものいる知り合いと会ったりすると
これら負の感情がむくむくと湧いてくるらしい

このことに関していうと、
わたしの場合は大丈夫そうだった

そもそもあしたを火葬したとき
火葬場の隣が公園で、
そこで小さい子どもが遊んでいたのだけど

それを見ているのも全然平気で、
妊娠前と同じようにかわいいとさえおもった

先日、赤ちゃんのいる友人宅に行ったときも
行くまでは、取り乱すんじゃないかとか
泣いてしまうんじゃないかとか不安だったけど
そういうこともなく、大丈夫だった

かといってあしたのことを忘れることはないし
忘れたくないともおもってるんだけどね

たぶんわたしが平気なのは
うちはうち、よそはよそという考え方が
根底にあるからなんだろなーとおもう

わたしはわたし
あしたはあした
よその子はよその子でしかない

そういえばわたしが死産する直前に読んだ
山崎ナオコーラ『かわいい夫』にも
似たようなことが書いてありました

でもわたしにも負の感情はある

たとえば死産後に
わたしたちを放っといてくれなかった人

中でも、1月に第一子が産まれた夫の友人

この夫の友人(男)は、
わたしが家にいる時間に
夫に長電話かけてきた

わたしがまだ不安定なときに
夫婦二人の時間を奪って、
もちろんわが子自慢もしたでしょう
(夫は電話を受けて別の部屋に移った)

たぶん夫の友人ってところが
まず引っ掛かってる

わたしは、死産がわかったとき
自分より夫に不憫さを感じたから
こんな妻をもって可哀想だ、って

そりゃ自分は無事に奥さんに出産してもらって
幸せ一杯なんだろうけど
それを振り撒いて夫を傷つけないで、とおもった

実際のところはわたしのねたみ根性なんだけど
だって夫はその友人のこと妬んでないし
むしろ自分のことのように喜んでる
 
その家族と赤ちゃん連れで
旅行に行こうとさえ言っている
わたしは絶対行きたくないけど

なんだろう、このきもち
自分の友人にはないのに


でもなんとなくわかっていること

たぶんわたしは妊娠時、
わたしが子を抱くよりも夫に抱かせることを
イメージして、夢見ていた

だから子持ちのお母さんには妬かないけど
子を抱かせてもらったお父さんに妬いてるんだな

あと、妊娠中や出産の苦労を知って、
それを乗り越えてきた母親側を憎めない、
っていうのもあるかもしれない

大した苦労もしてないくせに
(わたしの妊娠中に苦労しまくった夫と比較してる)
かわいい我が子を抱かせてもらって

しかもそれを不幸のどん底にいる
死産したての夫婦に聞かせるなんてと、
そのデリカシーのなさにもイライラしました

まぁでも結局はこの感情も
妬みやひがみに過ぎないとわかってるけど

他のひとを憎めない分
この友人(夫婦)を恨むことで、
心理的な均衡を保とうとしてるんだとおもう
無意識的に

相手には申し訳ないけど
つらいので、今後は付き合わないかな、わたしは
夫は夫ですきなようにしたらいいとおもう
夫は家族ぐるみ、というやつが好きなので
抵抗するかもしれないけど


こういうときにどういう行動をとったかが
その後の付き合いかたに繋がるよね

気を使われたり同情されたりすることを
嫌う人は多いみたいだけど

わたしはむしろ、そうされるってことは
大切にされてるってことだし
今後も付き合いたいって思ってくれてる証なので
まったく嫌だと感じません

だから周りのひとたちが
わたしを悲しませたり苦しませたりしないかと
悩んで行動してくれるのが
とてもありがたいなぁと感じています

かわいい夫

かわいい夫