ネテモサメテモ

強がったポーズの女の子

妊婦が受け入れられない

最近のわたしを苦しめていることは、
よその妊婦を恨めしく思ってしまうことです

そういう年頃だからってのもあり、
職場にも妊婦(とその夫)がいるし、
身の回り(わたしや夫の友人など)にもいます

まぁこの社会に生きてれば当たり前のことですね

そう、そんな当然のことが、
二度続けて妊娠がダメになったことで
こんなにつらく感じられるようになるとは、
想定外でした

たとえば流産後、職場で、
妊婦さんのいる部署に行けなくなりました
その夫の名前を目にすることさえつらいくらい

彼女の姿を見なくても、妬ましくて恨めしくて、
たまらない気持ちです
会えばますますつらくなるし、
笑顔で話せるか、全く自信がありません

そういう自分の感情や反応について、
考えるだけでもつらく、重たい気持ちになります

前回の死産後、こんなエントリーを書きました

bo-ya119.hatenablog.com

ここに、死産後によその妊婦や赤ちゃんを見ても、
平気だったと書いてあります

一度め平気だったことも、
二度繰り返すと、傷が前より深くなっていて、
前と同じ反応にはならないこともあるんですね

ほんとに平気でいられなくて、苦しくて

たとえば妊婦さんや、その夫と会うことや話すこと
その機会があるかもしれないというだけで、
その場面を想像すると、
すごく億劫で、つらくなるんです

他人の妊娠が心の底から喜べないし、
そのことについて笑顔で話せる自信がない

そしてこんなに狭量な自分が許せなくて、
恥ずかしくて、たまらない気持ちでいっぱいです

他人が受け入れられないということは、
結局は、
自分を受け入れられてないことなんだって、
今回のことで痛感しました

自分が、自分の思う、理想の自分でいられない、
いい人間でいられないから、
そんな自分を受け入れられない

これってこんなにつらいことなんですね

恨みや妬みが、恥ずべき感情だということ、
わたしと、よその妊婦さんとの出来事は
関連性のないことで、
もちろんよその妊婦さんには何の罪もないこと

もちろんわかっていますし、
そうやって割りきって、涼しい顔をしていたい

でも卑屈な感情は、理性を超えて、
わたしを満たしてしまって、
自分ではもうどうしようもありません

夫はこの感情を全く理解してくれず、
妊婦のいる場に連れ出そうとすらしてきます

その度にわたしは、
卑屈な自分と対峙することになり、
その自分を受け入れられず苦しみ、
夫に泣きながら説明する羽目になっています…

時間がたてば、卑屈なわたしはいなくなるのかな
それとも、
そんな自分を受け入れられるようになるんだろうか

そうなっても、ならなくても、
なんだかずっとつらいような気がしています