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強がったポーズの女の子

新生児を迎える【無痛分娩レポその1・葛藤編】

このエントリーでは、わたしが実際に無痛分娩に臨む前に考えていたこと、無痛にするか悩んだ理由と無痛を選んだ理由についてまとめました。次とその次の記事で、実際に無痛を選択した過程、分娩のレポートを書きます。

第一子を死産してから2年ちょっと、ついに我が家に赤子がやってきました。未だに信じられない気持ちでいますが、実家でせっせと夫と赤子の世話をしています。

今回の出産は、死産前から興味があった無痛分娩を選択しました。選択するまでに、長い長い迷いと葛藤の時間を要しました。でも出産してみると、もうそれはそれはあっという間の出来事で、産前の悩みがバカらしくなるほど。
わたしが無痛を選択するかどうか悩んだ理由は様々ありますが、その中でも周囲の近しい人たちが難色を示したというのが大きかったです。(あとは費用とリスクの問題くらいで、費用は金で解決できるのでOK、リスクは自然分娩も変わらないらしいので気にしない、と解決。)が、いざ産後、その人たちと分娩方法の話はしていません。産む前は「どこで産むの?」「どうやって産むの?」と訊かれるものですが、産んでしまえば質問は「母乳は出てるの?」に変わるものだということを学びました。まぁ産後に興味津々で「普通分娩なの?」とずけずけ訊いてくる人もいたけど「下から産んだ」と答えて話題回避しました。(質問の意図として、帝王切開なのか経膣分娩なのかが知りたいのかなと思ったので。他意はありません。帝王切開も立派な出産です。)その手の質問をしてくるような人をまともに相手にするのは時間の無駄です。
これらの質問は非常にデリケートな話題で、それを口に出すことはデリカシーに欠け、場合によっては相手を著しく傷つける行為でしかないので、嫌われたくない相手にこういう質問をするのはやめた方がいいと思います。
さて、無痛分娩をするかどうか悩んだ過程で、検索魔のわたしは、数週間に渡って無痛分娩の体験談を読み漁りました。馬鹿みたいに。本も買って読みました。

 

無痛分娩のすすめ

無痛分娩のすすめ

 
 

色んな体験談がありました。無痛にしてよかった、しなければよかった、自然でよかった、無痛にしておけばよかった。でも結局、これらはそれぞれの体験者の経験則による意見に過ぎません。わたしが何を選択してどの結果になるのかは誰にもわからない。そういう感想を抱きました。そうして導き出したわたしの結論がこれです。
無痛分娩はうまくいけば、出産の痛みを軽減できるかもしれないけど、できないこともある。逆に自然分娩でもそんなに苦しまない可能性もある。それはやってみないとわからない。結局は運と相性次第。運が良い方に賭ける(無痛分娩の費用を支払う)かどうかを選ぶのは自分。

また同時に、何で自分が無痛分娩にしたいのか、その理由についてもかなり模索しました。自分を納得させるだけの理由が欲しかったので。もちろん、無痛分娩の一番のメリットである、痛みを軽減させることで、出産に冷静に臨める。出産への恐怖心を減らせる、という利点を享受したいという気持ちもありましたが、それだけでは、自分の無痛分娩を希望する理由は説明しきれていないと思えました。あと、もう妊娠・出産にまつわる苦しいことはもう死産時の妊娠から十二分に味わったから、今回の妊娠くらい苦しい思いはなるべくしないで済むような手段を選択したいという気持ちもありました。

でも一番の理由は、あえて少数派の分娩方法を選択したいという思いでした。分娩方法を選択する過程で、いろいろ考えすぎて、もう多数派の自然分娩でいっか!それを選べば日本では間違いないんだし。と開き直りそうになったことが数回ありました。でもそれってどうなんだ。マジョリティだから安心、という考え方は思考停止、考え、選択することを放棄する行為ではないか。自由に選択できる立場なのだから、きちんと自分の思考、気持ちと向き合って、納得できる選択を、どちらを選んでも後悔しないと思えるまで悩みぬくのがわたしのポリシーじゃないか、と思いました。そして思い出したのが、わたしは基本的に「差別する側の人間」だということでした。わたしがあらゆる差別を嫌い、憎むのは、わたしの中にある「差別意識」を意識し、常に対峙していたいからです。つまり自分を差別意識の強い人間だと自覚しているからこそ、差別行為をしたくないんです。

出産~育児という行為は、古くから人間(女性)の営みとして行われてきたもので、それを行う女性は常に周囲に見張られ、評価されます。出産方法、出産場所、育児(新生児期は授乳方法!)について…男女関係なく、それを経験しているかも関係なく、コメントされたり質問されたり。

無痛分娩は日本ではまだまだ非難の対象となっています。「痛みを感じないと愛情も薄い」とか「お腹を痛めてこそ母親」とか。だからこそわたしは無痛分娩を選択したいと思いました。自分が産後、無痛分娩をした人に「楽な出産でいいなあ」とか、完ミで赤ちゃんを育てている人に「赤ちゃんが可哀想」とか、思ったり(間違っても言ったり)しないように、そういう人間にならないように。育児という人生の大きな出来事を始めるにあたって、そのスタートである出産で、あえて差別される側のマイノリティな選択をすることにしたのでした。