ネテモサメテモ

強がったポーズの女の子

ジェンダー再考(「彼らが本気で編むときは、」の違和感)

荻上直子監督の「彼らが本気で編むときは、」を
夫と観てきました

世間では
生田斗真トランスジェンダー
女性(戸籍は男性)を演じることで話題なようです

わたしは高校生の時から「かもめ食堂」が好きで
(原作者の群ようこさんに中学時代ハマってた)
幾度となく観ていて

あの世界観でジェンダーを表現するって
どうなるんだろう?と期待して観に行きました

観た直後の感想としては…
違和感いっぱいで、言葉にならない感じ
すごくもやもやしました

せっかくジェンダー、セクシャルを
テーマに据えたのにこの仕上がり…
なんか違うよね、これって、という気持ち

それで、わたしのこの違和感は
どこから生じたものなのか、数日考えました

その結果、わかったこと

トランスジェンダーであるりんこさんの
キャラクターが、あまりにもステレオタイプで
全然リアリティがなくて、魅力的でない
そのため好感がもてないし愛着もわかない

というところが大きい…

そうなんです
りんこさん、あまりにも女っぽい
今時のそこらの女性よりも
古典的な、絵にかいたような「女性」なんです

ひと昔前なら男性の理想になってそうな
高嶺の花的なそういうタイプの女性

そういうトランスジェンダーの方も
そりゃもちろんいるだろうし、
(女を意識する余りそうなるパターンもあるだろう)

そんな彼女を今回の映画で描いたことが、
間違いというわけではないのだけど

でもこの2017年に、
わざわざトランスジェンダー
テーマにもってきて作った映画なのに
こんなキャラクターの人物を
ヒロインに据える必要はないよね、

というかむしろ、彼女じゃなかったよね、今回は
と、そういう気持ちなのです

これじゃ、トランスジェンダーですら、
そのキャラクターをステレオタイプに、
型にはめられてしまうよね

それじゃ、
男はこうあるもの、女はこうあるもの、
という枠を超えてないよね
それって、どうなのよ…

トランスジェンダーはこういうもので、
こういう過去があるから、こう扱うべき、
ってそういう、もう描き尽くされたところを、
その必要もないのにわざわざ焼き直したような
そんな印象を受けました

わたしが観たい「ジェンダー」映画は
これじゃないなぁ…

わたしは今、若者世代で
進んでいる(と感じられる)中性化(?)が
どんどん進めばいいな、と思っています

女らしさ、男らしさ、ではなく
その人らしさ、を重視できる社会
そここそが目指す場所だよな、と

だから、そういう風に感じられる作品が観たい
「生きる」トランスジェンダーを見たい、
という風に思います

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女性が働くということ

このコメント欄があまりにも酷い有り様だった
ほんとに衝撃的で、唖然とした

これだから、
こういう認識だから、日本は変われない
女性は活用できないし、子どもは増えない
そりゃー当たり前だわ

みんながみんなを牽制して
みんなでみんなの足を引っ張りあって

勇気を出して意見を言えば叩かれて
空気を読んで黙っていれば一番安全
みんな、まわりをきょろきょろして、
安全策ばかり探って
勇気のある人間の発言に後ろ指をさし、嘲笑う

結局「国」が悪いのではなくて
国民がクソなのだな、と
だから今「国家」がこんな感じになってんだな、と
すごーく腑に落ちました

まず、何がおかしいかって
「自立したい」という母親の気持ちを批判すること

コメント欄を見るに、
「自立する」ということの意味を履き違えて、
あれこれ物申してる人ばかりだった

なんだか「自立する」ことの意味を、
贅沢で高尚な行為、みたいに捉えてるけど

全然そんなことないでしょ
夫や子どものいる女性が働くこと、
それは
現代を生き抜くサバイバル術の一つに過ぎない

夫がいたって、自立した方が安全に決まってる
だってさ、いくら高年収の夫を持ったって、
何が起きるかわからないよ?

夫がリストラされたり、大病を患ったり、
大怪我をしたり、事故で死んだり
不倫したり、よそに子ども作ったり
離婚の可能性だってもちろんある

夫がいる、夫が働いてるってだけじゃ、
わたしは全然安心できません
大黒柱制度こわいよ…

心配性っていうのもあるけど、現実的でもある
お金さえあれば、少なくとも生活していけるし

夫に裏切られても
キャリア(経験)は裏切らないしね

自立するって、そういうこと
ただ、生活のために自分で身をたてるってこと
(簡単に言えばリスクヘッジ)
わたしはそう思う

それに、今、これからの時代は、
女が自立してる方が不幸になる人間が少ないかも、
と、わたしは考えている

まず本人
現代社会において、
出産、子育てはものすごいリスクの伴う行為だ

国も社会も地域も、子どもを産め産め言うくせに
産んだら産んだで自己責任で育てろ、
お前が勝手に産んだのだからと、
誰も助けてくれない(コメント欄参照)

酷いときには子の父親である夫さえ、
力になってくれない
育児うつは現代社会の功罪だ

人によっては、仕事が助けになる場合がある
仕事に救われて子どもといい関係を築ける
そういう人も少なくないとおもう
(わたしの周りにもそういう人が多い)

子どもがいるからハッピーで最高に幸せ?
中にはそういう人もいるかもしれないけど、
全員が全員、そうはなれない

それに、いつか子どもは巣立つときがくる
親は子に、すがってはならない
子どもを自分の「全て」にするのは、
親のエゴでしかなく、

親は自分が親だということを
唯一無二のアイデンティティにしてはならない

次に夫
妻が結婚や出産で仕事を辞めたら、
これまでダブルインカムでやってた家計を
夫が一人で支えなければならなくなる

妻と子どもがいるから、
夫が自分の望む仕事や夢を我慢する、
これはよく聞く話だ

責任のある分、選択肢が少なくなる
まぁ当たり前のことかもしれない

そうしてその鬱屈を妻にぶつけたりね
はたまた仕事に忙殺されて家に帰れなかったり
それで退職したら用済みとばかりに熟年離婚される
あるいは家で邪険に扱われて辛い思いをする
そんなパターンも多いらしい

うちの場合、今のところわたしが公務員だから、
夫は自由にしていいと考えているらしい

わたしは今の仕事と環境がとても好きだから、
まだ当分仕事を変えるつもりはないのだけど、

夫はもうじき仕事を辞めるらしい
好きなことがしたいそうだ
もし子どもができて、保育所に預けられなかったら
自分で育てるらしい
(夫は保育士資格取得中、実家が保育所)

そして子ども
子どもの気持ちはわたしにはわからない
専業主婦の母親と、働く母親、
どちらの子どもが幸せかだなんて、
誰にもわからない

でも「子どもの気持ちを思って、働かない」
という親の発言に、それは違うんじゃ、と思う
そんなのは親のエゴに過ぎないからだ

そして、働く母親に対して、
「お母さんが家にいないなんて可哀想」とか
「子どもの気持ちがわかってない」とかいうのも
おかしいことだとおもう

たとえそれが物言えぬ子どもであっても、
本人の気持ちや意見を他人が代弁するのは違う
自己正当化したいがための言葉にしか聞こえない
子どもを主語にすることで美化してるだけ

逆に専業主婦をバカにするのも違うけどね
ただ選んだ道が違うだけ
子どもとの関係も違うし、得るものも違うけど
どっちが偉いとか偉くないとかじゃないし

というか最早、
女同士が足引っ張りあってる局面じゃないから
それ、上が楽するだけだから、もうやめないと

話をもとに戻して…

もし、夫婦仲がよくない、夫が浮気をしている、
もしくは夫にDVを受けてる母親が
専業主婦だったら、と考えてみる

そう簡単には別れられない

まず仕事がないお金がない
それじゃあ子どもを食わせられない

うん、別れられないね

自立してないってこういうこと
相手に依存して生きるということ
追い詰められた場面で、簡単には逃げられない

だから、自立するってことは、
自分の命綱を持ってるってことなんだ

命綱を持たず、夫だけを頼りにして、
別れたくてもそうはできず、夫にしがみつく
専業主婦は命綱なしの綱渡りだ
上手くいくこともあるけど、
いかなくなることも、ままある

夫がいて、仕事も持つ
その両立が贅沢なんてとんでもない
そうやって必死に生きてるだけです
命綱を必死で掴んでるだけ

専業主婦も必死でしょうが、
働く母親も必死です
ただ形が、スタイルが違うだけ

どっちを選ぶのも自由なのです

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永続性のあるアイドルがほしい(アイドルと結婚)

めせもあ。(元むすめん。)TLが
結婚ネタで沸いていて、
うんうん、そうだそうだと、心の中で叫んだ

何かというと、
メンバーに結婚してほしい!
それファンに需要あるから!という内容

そうそう、そうなんだよね
結婚需要、あるんですよ
多分ガチ恋以外のファンには…

今、若者に人気のミクチャなるSNSで、
カップル垢が人気あるらしいじゃないですか

芸能界でも、カップルとか夫婦で、
ペアで好き、むしろその組み合わせが好き
っていうの、ありますよね

ぺことりゅうちぇるとか
北川景子とDAIGOとか
北斗と健介とか
安藤なつとカズレーザーとか(?)

特に女性は、
恋バナ(死語かも)が好きなのもあってか、
カップルがくっついて仲良くしてるのとか、
結婚して幸せそうだとか、
そういうの見るのがすきみたいで、
需要はとても、とてもあります

だから、好きなアイドルの推しが結婚して
子ども育てて~みたいな過程を見たい!
そこまでまるっと応援したい!
みたいな気持ちがある人が多いみたい

男性アイドルは、ジャニーズとかでも、
結婚しなかったり、遅かったりってのが
結構多いみたいだけど、
一部のファン以外はそれ望んでないんじゃないかな

むしろ、アイドルやってくれてることで、
自分たちファンは幸せだけど、
それで本人の私生活カスカスになのは嫌で、
そっちはそっちで幸せになってほしいと
願っているとおもいます

だっていくらガチ恋だからって、
現実、アイドルとくっつけるわけないもんね?
繋がったって虚しいだけでしょうし…

だからほとんどのファンは、
ファンでやることやってます、当たり前のこと

アイドルに人生捧げてるタイプのファンは、
まぁ別に好きでやってんだからいいと思うけど、
それ現実逃避じゃないか?大丈夫か??とは
思わなくもないけどね…

だから、私生活犠牲にしてまで
アイドルやってほしくないって
ファンが大多数だと思うんです、わたしは

ほんと、今のいいときを逃さずに、
私生活でも幸せになってほしいなぁ
結婚に限らずね

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ここで女性アイドルについて考えてみたい
現時点でハロの最年長グループに℃-uteがいる
今なお君臨している

わたしは、℃-uteに、すごく、すごく期待していた

何の期待かというと、彼女たちが
「女性アイドルの常識をぶち破る存在」に
なってくれるんじゃないか、という期待だ

何しろ℃-uteはアイドル10年選手、
その美貌に歌、ダンス、パフォーマンスの実力は
ハロの中でも、いや、アイドル界でも
ここ数年でかなりのものに仕上がっていた

これはもう年齢なんか関係ないんじゃないか、と
わたしは考えた

残念なことに
女性アイドルには「賞味期限」なるものがある

わたしから言わせてもらうと、
「なんたる時代錯誤な文化!」なんだけど、
でもそれは実際あって、

ある程度の年齢(25とか)になると、
彼女たちは卒業なり脱退なりしていってしまう…
ほんとに悲しい

なんで年取ったからって、
別にかわいくなくなったわけでも、
パフォーマンスができなくなったわけでもないのに

しかも、本人の意志に反している場合にさえ、
アイドル辞めなくちゃいけないんだよ…
解せぬ…つらすぎる…
(あやちょのことを考えています)

でもね、℃-uteは10周年だった2015年、
完全に事務所に推されてて、
露出もそこそこあって、
「アイドルが憧れるアイドル」的ポジションも
ゲットしてて、(やらせであれ、ね)

わたしの(節穴だらけの)目から見ると、
なんか、これ、イケるんじゃね?って
流れがキテたんですよ!

まぁ実際のところはわかんないけど
わたしの感覚としては
これは℃-ute、解散とか卒業とかなしで、
年齢によるバラけなしでイケるかも…!?
って、大いに期待をしてしまったわけです

まぁ結局はメンバーの恋愛報道で
おじゃんになったわけですけどね

まぁ結局これだと思うんですよ

プロのアイドルと言えど、
いい年齢になったら、そりゃあ彼氏もほしいし
やることやりたいし、結婚を夢みたいでしょう
だって女の子だもん!!

で、女性アイドルのファンは、
多分在宅も含めると8割方男で、
男がアイドルに求めるのは、「処女性」なんですよ

…っっあっほくさっっっっ!!!!!!

わたしはね、やってようとやってまいと、
もう全然いいの

何ならやっちゃってる方が健全だろうよ
いいよいいよ、
ゆうかりんみたいに彼氏ときゃぴっちゃいなよ

わたしゃ「処女性」なんてアイドルに求めてないの
たぶん女オタにはそういう人多いと思うの
「処女性」なくてもアイドルやっててほしいの!
って、どうだろ、そんなことない!?

まぁ長くなりましたがつまりは、
わたしはパートナー作っても結婚しても
子どもできても、
私生活のかたわらで笑顔でアイドルやってくれる、

ずっとずっと応援させてくれる
そんなアイドルがいてくれたら夢みたいだな、と
思ってるんですよ…

早くそんな時代がきたらいいのになぁ
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アイドルでセクシャルを解放したい

何が言いたいかというと、
もっと性に対しての考え方、概念を、
軽くしていこうぜ、ってことです

もう枠とかいいじゃん、っていう

なんでこんなことを考えたのかというと、
身近にLGBTがいるのもあるけど、
それだけじゃなくて、

ハロの女オタが増加してるからです

いわんやわたしもその一人で
最近職場にお仲間(女子)も発見したところで
オタ充な日々です

それで考えたんですよ

なんで女は女アイドルを大手を振って推せるのに
男は男アイドルを(堂々と)推せないのか?

女アイドルの現場に女の子はたくさんいるのに
男アイドルの現場に男の子はそんなにいない…

単に男の方が在宅が多いってのも
理由の一つではあるけど、確実にそれだけじゃない

世間が、男が男を好きだと言えない風潮だからだ
これが一番大きい要因だろうな

実に不思議だ
女が女アイドルを推すのは、普通のことなのに

この「普通」というのはえらく大切なことで
わたしは今のところ、セクシャル的には
自分をストレートだと認識してる、たぶんね
つまり恋愛感情ではないけど、女アイドルが好き

そのことについて、誰も非を唱えない
わたしが女アイドルを好きなことについて、
どういう気持ちで好きなの?なんて聞いてこない
これが「普通」として受け入れられるということ

でもたぶん男だったらこうはいかない気がする
たとえば男がジャニーズ推してたら
周りにゲイだと疑われるんじゃないかな

なんでだろうね?
女が女推しててもレズとは言われないのに

女の子がアイドルを好きな理由はたぶん
彼女らが「かわいいから」だとおもう
単にそれだけ

それなら男だって、
男アイドルを「かっこいいから」推していいはずだ

と、この流れで思い出すのが幼い頃の憧れの存在

わたしはセーラームーン世代で
女の子たちは、彼女らにメロメロだった

それと同様に男の子たちも、
ウルトラマンやなんたらレンジャーに憧れてて
「大人になったらウルトラマンになる」とか
「かっこいいから戦隊レンジャーがすき!」とか
当時は言ってたはずなんだよね

なのに、大人になると、
男はそういう気持ちに蓋をするようになる

男は恋愛対象となるべき女性アイドルを
好きになる「べき」で、
たとえストレートの男性が
男性アイドルを好きでも、
多分それを表には出さないだろう

なんでなんだろう…
わたしには、
男性が男性同士で牽制し合ってるように見える

そもそもセクシャルについては、
女の方が受け入れ幅が広い

息子がゲイということがわかっても、
母親は受け入れたという話はよく聞く、
受け入れづらいのは同性である父親の方みたいだ

この間観た映画「ショコラ」では、
被差別側の黒人であるショコラが、
たくさんの女と付き合う描写がある

差別されてる人と付き合う、
恋仲になるというのは、
すごい勇気がいることのように思う

でも女性たちは、黒人という、彼の人種ではなく
彼そのものを愛する
他の黒人とは違う、ショコラを

それを見ておもった

男は差別する側だからなんだ、って
女は女という性別でいつだって被差別側にいる
だから、フリーな目線で見られるんだな、と

セクシャルとかジェンダーって、
結局ただの枠、括りの話なんです

自分がゲイだと思えばそうだし、
バイだと思えばそう
ただ自分をどこに位置づけするかの話
自由なこと

だからそんなのもうフリーでいいんですよ
男が好きだって女が好きだっていい
男が男アイドルを好きで何がわるい

わたしはむしろ、女性アイドルも男性アイドルも
ファンの男女比が同じくらいなのが
健全なんじゃないかと感じます

もっとフリーになれたら、きっとたのしいよね
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映画「ショコラ」が異常によかった

いい映画を観た

わたしは結構映画を観に行く方で
社会人になってからは、
月2、3本くらいのペースで映画館にいく

DVDでは得られない
映画館ならではの非日常感を求めて
自分が自分でなくなるようなあの感覚を味わうべく
しばしば足を運んでいる

1月、仕事中に調べものをしていて、
たまたま、19世紀終わり頃のフランスに、
黒人の芸人がいた、って記事を読んだ

(確か2015年、フランスで「Chocolat」が
上映開始したタイミングの記事で、
当時のショコラ本人の写真が載ってたんだけど
検索かけても再現できなかった…残念)

たぶんこの表紙の写真
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興味をもって引き続き調べてみると、
彼をモデルにした映画「ショコラ」を
銀座のミニシネマ、シネスイッチで上映するらしい

ショコラ役は
最強のふたり」のオマール・シーがやるとのこと

うちの夫はチャップリン狂いなのですが、
ショコラの相方の白人フティット役が
チャップリンの孫、ティエレだということもあり
強引に誘い込んで、

2月3日節分の日に一緒に観に行きました

観る前に
数少ないレビューを読んでみてたんだけど、
あまり評価がよくなくて、
わたしの期待ほどは面白くないのかな、と
期待値は下げ気味で

そしたらもう
期待値下げる必要は微塵もない、
素晴らしい映画でした

素晴らしい、と言うのは簡単なのだけど、
それ以上の言葉が出てこない

楽しい映画、ハッピーな映画ではありません
主人公の二人は芸人だけれど、
その内容も決して面白くはない
(19世紀のフランス人の感覚なんだから当たり前)

どちらかというと、内容は重いし暗い
根底に黒人差別という、
ショコラにとって避けられないテーマがあるし

だけど、だからと言って、
こちらを辛くさせない雰囲気があったんです

登場人物たちの生きざまに?職業に?
映画の演出に?それはわからないけど

彼らが道化師だからだろうか
泣き笑いの人生、
むしろ滑稽だと笑われたもの勝ち、みたいな
そういう雰囲気だったからかなぁ

わたしはむしろ、映画を観終わったとき、
すごいものを観たという興奮とともに、
妙な清々しさすらあって、驚きました

原作読んでないから何とも言えないけど
脚本は主人公たちに肩入れすることなく、
たんたんとストーリーを刻んでいて、
すんなりスマートに入ってきた印象

キャストはほんとに文句なし
主人公の二人はもちろんだけど、
他の役者さんたちも、世界が作り込まれていて、
あの時代のフランスに引き込まれたかのようでした

ラストに向かうにつれ、
ショコラとの生き方がつらく感じられて、
フティットの翳りが切なくて、
二人のことを思って涙が止まりませんでした

夫はティエレに晩年のチャップリンを重ねて
ずっと泣いていたとのこと

うーん
映画の感想って難しい

とにかく、すごい名画で、
今全国のシアターでやってるみたいなので、
ぜひ観てほしいってことです
ちゃんちゃん
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奴隷にならないために、今ここに安住しない

先日、同期と仕事の話をしていて、
ふと気になり、聞いてみた

「今の職場で勤め上げるつもりなの?
 永久就職というか」

聞いた時には他意はない、つもりだった

日本は「終身雇用」絶対主義だ
少なくとも、今のところはまだ

「正社員」、「終身雇用」で
勤め上げることが幸せとされている

ましてやわたしたちは正規の司書
司書として公務員になれた強運の持ち主だ

実際大抵の先輩方は定年まで勤め上げているし
公務員として就職できた時点で多くの人が、
定年まで勤め上げるつもりになるだろう

でもわたしには全くその気がない

上の質問をした同期に
「私はそのつもりです
 ハマダさんは違うの?それはどうして?」
と問われ、わたしはポロっと

「まずどこかに永久就職するというアタマがない
 どこかに勤め上げることを見越して
 ほかの選択肢を失った時点で、
 その職場に従属することになる
 それが何よりこわいから」
と答えていたのでした

このことを言語化したのは初めてのことで
それまでも漠然とは意識していたものの

ああ、だからわたしは油断しないのだな、
外野の視点で職場を見ているのだな、
ということをしっかり意識しました

わたしはどこかに従属して
その絶対的な安心感と、それゆえの恐怖心
をもつことを恐れている

つまり、何かひとつのものを選ぶということは
それ以外の選択肢を捨てるということで
そのひとつに絶対服従するということだ
いわば奴隷となること

それに
もし自分が選んだそのひとつを失ったとき
自分の手には何も残らないということになる

こんなに恐ろしいことがあるだろうか…

結局わたしは臆病で、
何かにすべてを賭けることができないとも、
言い換えることはできるのだけれど

よく言えば、とても注意深くて
常に何かを失くしたときのことを考えている
その時何も残らないということにならないように
あらかじめ周到な用意をしている
物質面でも、精神面でも

たとえば貯金や保険、
夫婦ともに仕事をすること、
何かをする前に失敗したときを想定すること
夫との「最期の会話」を常に意識していること

こういう心配をしない人は、意外と多くて
わたしの考え方の方がマイノリティかもしれない
 
でもわたしはやっぱり奴隷になりたくないし
いつも、自分の足で立っていたいと思う
組織に生かされるのではなく
組織を支える立場でいたい

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愛と時間を持て余す

久しぶりにブログを書く

ずっとこのテーマで書こうと思っていて
でもなかなか書く気になれなくて

そしたら先日、
わたしの好きな作家、山崎ナオコーラさんが
連載「母ではなくて、親になる」で、

子どもをほしい理由として、
「寂しい」「暇だ」という気持ちがあると書いてた
何ならそれが正直な気持ちだと

これこそわたしが書きたかったことで
同じことをきちんと発信してくれる人がいることに
感動した

 書きたいけど、正直に書くのは「いけないこと」
「倫理的によくない」と思っていたから
書けなかったんだよな~

ということで、
わたしも最初に子どもを持とうとしたとき、
死産したとき、その後から今まで、
ずっと考えていたんです

どうして子どもがほしいのか
そして、どんな理由なら世間的に許されるのか

理由は一つじゃありません
いろいろあります

 わたしの場合は若いころから
「お嫁さんになりたい」とか「子どもほしい」とか
特に思ったことはありませんでした

だから、旦那はいらないけど、子どもほしい、
とも、思ったことなくて、
ただ、夫のひととの子どもはほしいと思った

これは事実で、
夫に片思いをしていたころから、
周りにそのことを吹聴してドン引かれてました

これは多分大きい理由になると思います
好きな人との遺伝子を遺したいっていうのは、
ごく一般的だし

でももっと簡単に、有り体に、
現実としてあるのが「暇」なんですよ

わたしたちはもうすぐ結婚5年目で
もう新婚ってわけでもなく、
お互いのことは大体わかってるし、
今更お互いに愛を尽くすこともなくなりました

いや、語弊があるかな…
夫婦仲はとっっっても(強調)よくて、
日々幸せなんだけど、
もう夫婦として大抵のことはし尽したというか、
生活が二人じゃ足りなくなっちゃったんですよね

しかも二人とも誰かに愛情を注ぎたい
世話好きなタイプでして、
二人して誰か世話を焼かせてくれる相手を
求めているのです…

でも大人って、世話焼かれたい人、
焼かせてくれる人、なかなかいないんですよね
みんな自分の生活や、相手がいるし
それでフラれては傷ついているんですが…

みんな言わないだけで、
夫婦二人だけじゃ愛情と時間を持て余しちゃって
家族として次のステップに進みたいから
子どもを望むんじゃないかなあ、なんて

あと、人間って孤独だから、みんな
寂しくて、それが埋まる可能性があれば、
いろんなことを試してみる
たとえそれが命を懸けることでも

そういう生き物なんだろなあ、と、
こういうことを日々考えています

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